超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

とりあえず思考がゴチャついてどうしようもないので、今日はお休み。

とりあえず思考がゴチャついてどうしようもないので、今日はお休み。


さて、日曜日の夜であるな。昨日は母親が一時帰宅で帰ってきてたので、色々と世話をして今日の正午ごろに施設に送り届けた。その後、食材の買い出しで色々と買い物をしてきて、夕方はサウナに行ってきた。


昨日のエントリーにコメントなど色々といただきありがとうございました。また、OFUSEの方から投げ銭と応援メッセージを頂いていますけど、ほんとありがとうございます。ブログを継続する励みになります! ちょっと今は忙しいんで明日にでもコメント返信をさせていただきます。


昨日のエントリーからもわかるかもしれないけど、今現在の僕は色々と思考が過多の状態であり、冷静に自分の感情を見れていない。思考がゴチャついており、こりゃいかんということで、今日は思考を鎮めるためにサウナに行ってきた。


ぐるぐる思考が厄介なのは、自分は冷静に自分の思考を捉えてるつもりでも、いつの間にかその感情に取り込まれていることである。こりゃもう、人間の脳みその仕様のようなものであり、どれだけ客観的に自分の思考をメタ認知しようとしても感情に巻き込まれる時は巻き込まれる。


僕も今日の朝から人生の意味とか母親をどうしようとかそういうことばかりを考えていたが、悩みに感情のムードを不安や悲しみに固定されてる状態である。


僕は、何かしら思考が苦しいなという時は、Awarefyというアプリの5つのコラムという認知行動療法のコラム法を使うのだけど、自分の感情がハマってる時には文字でごちゃごちゃ考えるよりも、数値で感情の度合いを書き出した方がわかりやすい。


認知行動療法のアクセプタンス&コミットメントセラピー(ACT)では、こういう感情にハマってる時に抜け出すための方法を「脱フュージョン」というけど、これがなかなかに難しい技術である。特に、感情というものの性質が、自分の思考のムードまでその囚われてるものをリアリティをもって感じさせる罠のようなものなので、がちっと自己憐憫にハマってる時に思考だけで抜け出すのは無理である。


こういうのを抜け出すには、マインドフルネス瞑想で身体感覚のフェルトセンスにフォーカスを当てたりなどしていく感じなのだけど、これでも感情が昂ってる時に瞑想をすると逆効果の場合が多いしな。


自分自身の揺れやすい心をなんとかするために、マインドフルネス瞑想を5年ばかし続けてみたりとかACTのやり方などを色々と勉強したりしてるけど、やっぱ自分の内観と言うのはよく分からんよな。逆に、苦しい状況を押さえ込もうとすると余計に拗らせることも多く、無理やり押さえ込むと逆効果と言うのはACTの論説でよく言われている。


などと色々とごちゃごちゃと哲学的なことを書いているのだが、これ自体が僕の悪癖でね。「分析しすぎ」である。


学問とか知識はある程度の方向性を教えてはくれるけど、それで心を操作しようとすると大抵そのことにより感情が炎症を起こしてくる。マインドフルネス瞑想のメタ認知で身につけるべきことがこれなのだけど、感情それ自体を確認だけしてそっと距離を置くという体感が重要なのである。


理論派とか頭でっかちの人にはありがちなのだけど、自分の体を動かしてみてしか理解できないことというのは多い。特に、瞑想のメタ認知なんてものは自分で経験して体得するものであり、言葉では決して理解できない領域だ。


最近だと、ChatGPTくんとかと壁打ちして苦しい時に色々と質問したりするけど、これも本当に感情が苦しい時は逆効果だろうなーというのはよく感じる。ヒリヒリして痛む箇所にどんな触り方をするか変えたところで、痛むものは痛むものなのである。むしろ、触りすぎると化膿して悪化する。


ほんとさ、こういう時に必要なものは無心になって色々と忘れられる趣味なんだと思うよ。これもまた、逃げるために必死になるとまた頭にその嫌な出来事がこびりつくとか、こういうのが人間の思考のデフォの挙動なのだけど、まずは運動などで体を動かして行動を変えてみるというのが最善の方法の気がするね。


内省しすぎの人が本気出して内省を始めるとこういう文章を書き始めるのである。全くもって度し難い。体自体はサウナでまったりとしてるので、皿を洗ってさっさと寝てしまうとしよう。

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