超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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テクノロジーが発展してる現代だからこそ人文学が必要だ。

テクノロジーが発展してる現代だからこそ人文学が必要だ。


どうも昨日からいきなり調子が悪かった。僕が調子が悪い時はブログにテキメンに状態が反映されるな。無駄に人生の厳しさとか将来のこととか考えてる時は、明らかに調子が悪い時である。


今日も朝から気分が最悪であったが、生成AIのClaudeくんと壁打ちをして多少は気分がマシになってきた。まぁ、物事はなるようにしかならないし、どうにもならない時にはその時に考えれば良いのである。ひっきりなしに不安なことばかり考えて、思考リソースをエンジン空ぶかしみたいなことで消費すること自体が無駄である。


さてなぁ、今日は何を書くかね? 最近の僕は朝の通勤時間にはマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を読んでるのだけど、これがさっぱりと意味がわからない。


どうもWikipediaなんかをカンニングして、この本がキリスト教プロテスタントの予定説が、資本主義経済を作り出すきっかけを社会学的に分析した本というのは知っている。しかし、実際に内容を読んでみたところ、ひたすら神学上の議論とか歴史ばかりを羅列してるような内容であり、キリスト教の素養がない僕ではさっぱりと分かりかねるのである。


そもそも何でこんな小難しい本を僕は読もうと思ったんだろうな。どうも最近の僕は高二病というかそういう傾向があり、読書傾向ではこれの次はケインズの「雇用、利子及び貨幣の一般理論」でも手を出そうかなどと考えている。直接原書を理解するのは無理そうなので、漫画版あたりからでも読んでみようか。


ちょっと最近はある程度、気分の波が安定してたりとか余力が残ってるので、自分なりの独学研究を進めようかなーと思ってる。僕は大学が心理学専攻だったもんだから、今でも個人的に哲学とか心理学について独学を続けている。そういった本で知り得た内容をブログでも書いてたりとかしてる。


基本的に僕はそういう人文学的な学問というのが大好き人間である。人間の本質であるとか、思考プロセスのようなものが知りたくて、高校生ぐらいの時から哲学書を読んでいた。


こんな小難しい学問がなんの役に立つのだろうと思うかもしれないけど、心理学とか哲学は「人間がいかにして生きるのか?」という問いにダイレクトに答えるような学問だよね。どうも僕は昔から大層に自意識を拗らせた人間であったので、暇さえあれば生きてる意味とかそんなことばかりを考えていたのである。


哲学なんかは全く役に立たない学問であるという認識の人もいるかもしれない。実際、普通の実学と比べて文学とか哲学というのは、余暇がたっぷりとあるギリシャ人が暇つぶしでやってたものという印象があるかもしれないが、それはまぁ違うね。


今の現代社会でのITが発達した情報社会ではそれが特に顕著だと思うのであるが、哲学や倫理が伴わずにテクノロジーが暴走している。その技術を使って悪用して社会に混乱がもたらされており、最近だと闇バイトであるとか社会の分断のような新しい問題が発生している。


人文学というのは、そういう社会の中で起きてることに対してどのように考えるのが正しいのかなどのナラティブを与えてくれると思うのである。人間という生き物は欲望のままに自分勝手に生きるということをやってると、結局、環境を破壊したりとか核兵器を生み出したりみたいな自滅への道を突き進むことになる。


人文学というのは「どう生きるのか?」ではなくて、「いかに生きるのか?」を教えてくれる学問であろう。目の前で発生してる問題に対して、見えてるだけの現象ではなくて、そこに新たな視座の高みを加えてくれることで、問題解決のため補助線を与えてくれる。


「神は死んだ」と言ったのはニーチェであるが、中世以降の神話が死んだ後の現代でも、人は生きるためには新しい物語がいる。人間というのは物語の形式でしか物事を考えられないし、現実をオブラートにも包まずに直視する生き方というのは、単なるニヒリズムであり、その土壌には何も生まれない。


最近の世の中を見ていると、自分が儲かればいいとか意見が対立しても力ずくで相手の意見をねじ伏せればいいというような、個人主義の暴走と権威主義の拡大が見られる。こういうのは、ちゃんとした自己を確立できてない人が多いからだろうし、社会全体を包んでる物語というのが歪んでいるんじゃないかと思うんである。


テクノロジーが高度になっていく社会では、ますますそれを支える土台としての人文学が必要だと思うんである。近年はさらにこれにAIが加わって社会の発展が加速していく傾向も見られる。社会全体がろくに哲学や倫理が育ってない状態でテクノロジーが発展していっても、そこで発生するのはカオスのみだ。案の定、AIなんて素晴らしい技術が出てきても、人はそれを金儲けのために利用したり、フェイクニュースを生成して拡大することにしか使わない。


小難しいことばかりを書いてきたが、僕はわりかしそういうことをマジで考えながら読書をしたりとか個人研究をしてるのである。自分が生きるにしても社会の中を観測するにしても、ちゃんとした方向性が知りたいと思うし、そういうことを教えてくれるのが人文学なのである。

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