超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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色々と今後の将来のことなんかを考えてる。

色々と今後の将来のことなんかを考えてる。


最近は仕事が忙しい。最近はプロジェクトは閑散期なのだけど、色々と既存のプロジェクトの整備のためにやらないといけないことが多くて、それで自分も駆り出されて色々とやらされてるという感じ。


まぁ、僕は障がい者雇用で働いてるのでそこまでは職責が重い仕事は任されないのであるが、それでもいろんな自動テストの作成であるとか細かな細部のコーディングのような仕事は任されてくるのである。それなりに難しいコーディングが求められることもあるし、仕事のやりがいはそれなりにある。


しかしま、休日とかでも暇な時は、色々と今後の将来のことなんかを考えたりするんだよね。僕は脳出血で半身麻痺を持ってる母親を介護しながら生活してたりするんだけど、こうやってブログを毎日更新で書き続けることも母親の状態が難しくなってくると厳しいかもしれない。また、僕自身が何かしらの急病であるとか事故に巻き込まれたとかがあれば、ブログなんてやってられないだろう。


そう考えると、毎日更新で3000日もやれてしまったというのは、ある種の奇跡だろう。これは僕の立場で障がい者雇用であることも優位に働いたことである。僕の就労形態だと基本的に残業はしない雇用形態を結んでるんだよね。なので、最近はよっぽどのことがなければ残業はせずに定時で帰れるのである。


なので、毎日夕食を食べた後の20時から1時間だけブログの時間にして、コツコツとブログを書き続けることができたのである。今の仕事は8年目であるけど、仕事が辞めたくなってブログでも大騒ぎしてる時期もあった。


仕事が遅いと詰めてきたこのパワハラ上司については、今でも恨みを忘れてるわけでもないが、なんとか距離感を保って仕事を継続することができている。仕事を辞めようか続けようか、本気で死ぬ気で考えたのだが、今の仕事を辞めて路頭に迷わずに生きていけるほどの器用な生き方をする自信というのは、僕にはないな。


今の職場というのは、それなりに賃金であるとか雇用条件については悪くないのである。今は正社員であるけど、これは契約社員として5年以上勤めることができたので契約社員の無期転換の代わりに正社員登用をすることでなることができた。ボーナスもちゃんと貰えているし、ある程度は貯金もできている。


一応、他に良い条件の障がい者雇用がないかということで、ハローワーク障がい者雇用の検索であるとか、indeedなどで障がい者雇用を条件に絞って探したりするのだけど、僕ぐらいの年齢からプログラマで正社員の障がい者雇用なんてものは皆無である。いや、そもそもオープンの障がい者雇用でプログラマという職種自体がない。


いっそのことクローズでどっかの勤務時間が短い、条件がいいベンチャーに潜り込んではどうか? とも思ったのだが、僕が何よりも恐れてるのは統合失調症の再発である。この病気に関しては、どれだけ寛解したつもりであっても断薬をしたりとか強度のストレスが掛かるようなライフイベントが発生した時には再発することがあり、しかも再発するたびに難治性になるという厄介な病気である。


なんでまぁ、僕は仕事をバリバリやって社会的成功! のようなレールからは降りてるのである。仕事についてはテキトーにボチボチとストレスを溜めない程度にやって生活費を稼いで、そして余暇で小説を書いたりとかイラストを描いたりするような趣味を楽しむ生活をしようと決めたのである。こういうのは近年であると「ダウンシフト」というような概念であるらしいけど、どうも僕のような立場の人間であるとそっち方面での成功を目指した方がいいらしい。


また、僕の人生で今後また出会いがあるかどうかは分からんが、死ぬまでこんな感じで一人で暮らし続けることもどうだろうとは思ってるのである。おそらく、うちの母親というのはそこまで長生きはしないと思うのだが、そうなった後に一人きりで世の中にポツネンと生き続けるのはかなりの負荷じゃないかなーなどと考えたりもするのである。


なんでまぁ、それで最近はいろんなコミュニティを探ってみたりとか、仕事と家庭以外での人との結びつきを増やそうとしてるのである。趣味の活動とかボランティアでもいいのだけど、いろんなコミュニティに参加をしてみて、淡い感じの友人関係などの人間関係を作れないかと思っている。


人生80年だとすると、今の僕はちょうど半生ぐらいの年齢であるが、自分の人生を振り返った時にほんとすごいハードモードだよなと思う。統合失調症とかブラック企業みたいな致命的なやつは、それだけで本当に死んでもおかしくなかったし、そこから立ち直る過程でも凄まじくエネルギーを使ってる。


なんで自分は生き続けてるのだろうと考えたりもするのだけど、病気で生きられないと思った時もなんだかんだで支えてくれる人はいたし、実際にここまで生きてきて、人生というのは簡単に捨てられるものではないと知った。生きていればそれなりに変わった風景を見ることもできるし、どうやら僕は何かをコツコツと積み上げるのが得意のようである。今の調子でブログをどこまで続けられるかというのも生きる理由である。


生きるのが楽しいとは思わんけど、今まで積み上げてきたものを捨てるほどは絶望はしてないんだよね。最近はAIの発達で変わっていく世の中を見るのも楽しいであるし、コツコツと小説を書いていたら玲と真輝の小説の3作目も完成した。どうやら、僕はそういう自分の世界に対して、自分の意思でちょっとだけ干渉できることに生きる理由を見出したらしい。

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