これからのブログ文化にどういう展望を見るか?
ブログ文化の衰退をどう見るのか?
どういう風にブログを書いていけば良いか未だに考えているな。この様なエントリーを見かけた。
倉下さんのエントリーなのであるが、これからのブログでは「楽しさ」を軸にもう一回書くことの文化を取り戻そうみたいな内容だった。
僕はブログに関しては14年ほど続けているのだけど、間に随分とブランクがあったりと継続が続いている訳じゃないので、ずっとネット空間に居続けた訳でもない。でも、2016年から4年以上も連続更新を続けているので経験的にはもう十二分にブロガーをやってると言っても良いかもしれない。
そういえば、僕はtwitterなどのSNSでは「雑文書き」を名乗ってるけど、なぜブロガーじゃなくて雑文書きを名乗ってるのかは最近読み始めた人とかは知らないだろう。この様な事があったのである。
土下座をしてMacbookをねだってるプロブロガーが居たので、そういう乞食みたいな事をしている「ブロガー」という肩書に愛想が尽きた。なんで、僕はそういうのとおんなじ扱いをされたくないので「雑文書き」を名乗ることにしたのである。
一応、そうやって格好を付けて別の肩書を名乗りつつブログを継続し続けて、ある程度継続はすることが出来たので肩書を変えたのは間違ってないと思ってる。そこらのカネカネしたブロガーは、グーグルが方針を変えたコアアップデートでブログが稼げないと分かるとさっさと見切りを付けて稼げるYoutubeなどに流れていった。僕はそういうブログが衰退したと言えるような状況下でもこうしてブログを毎日書き続けている。
やっぱりあれらの有象無象は儲かればなんでもよかったのだろう。なんかブログを書くことに色々と理由を付けてブログ仲間募集だのブログ書けだの色んなタグを付けて集まろうとしていたけど、結局、肝心のブログは書き続けられず金の匂いのする方へ欲望のままに流されていった。ブログを書くのに、何かを表現したいというのではなくて、楽して稼ぎたいというモチベーションだと楽な方へ楽な方へと流されていくのだろう。商売としてはそれが正しい。
それにしても方針の不在。
しかし、上述の倉下さんのエントリーでも書かれているけど、カネカネしたブロガーに反発して清貧を目指すブロガーは結局モデルケースを示せていなかったとある。それをどうするのかな?と思うのである。儲けるつもりもなしにブログを書いてる人たちは何のために書くべきか?
ブロガー界隈が盛り上がったのは、楽して稼げるという事で人が集まってきたからであった。どーなんでしょうね。結局、それで起きたことといえばスパムの蔓延による元からのブログスフィアの文化の破壊であるし、それらの者たちが去っていった後にどんな問題点があったか、なにか有意義な事があったのか、誰も有力なブロガーが総括せんかったって事でしょ。
まぁ、少なからず楽にマネタイズできるプラットフォームができた事は良かったのではないかと思う。社会的に弱者で働けない人とかひきこもりとか、そういう人たちが在宅でも稼いで社会に貢献するモデルケースを示せたという意味ではブログバブルにも意味があったのかもしれない。それが目的で多くの人達が集まってきて、Googleアドセンスなどの広告プラットフォームがちゃんと整備された。僕の所も広告を付けているけど、はてなブログProの料金とドメイン代ぐらいは稼げてる。ものを書いて誰でも稼げるという状態を作り出せたのは良かったのかも。
それにしたって、稼ぐ方法はSEOでランキングを上げるために機械に読ませる文章を書いた方がウケるということで、起こったことはスパムの大量発生である。文章的に素晴らしかったりだとか変わった人生経験をしているだとかそういうエントリーは評価されず、なにも分からない人にサプリメントみたいに情報を伝えるだけの「いかがでしたブログ」みたいなものが優れているという、Googleの間違った重み付けが結局、ブログバブルとブログ衰退を招いたのであろう。
まとめ
ブログは世の中に居る、書くことに囚われた人の逃げ場所みたいな位置づけで十分だと思いますけどね。兼好法師ですら「あやしうこそ物狂ほしけれ。」で書いてるわけですから。世の中には心のフラストレーションを執筆して吐き出さないと狂う人がいるんですよ。僕もあーんまカネカネしてキラキラしたのは苦手だから今ぐらいでちょうどいいと思いますけどね。必ずしもブログでネット文化的に立派な立ち位置を目指すとかそんなのも必要ないんじゃないすかね。僕は自分が書いて楽しければ必ずしも多くの人が集まる必要も感じないっす。
僕はそこまでブログの未来とか悲観的という訳じゃないですけどね。文章を通じて情報発信が好きという人はまだまだたくさんいるし、一時的にバブルが弾けた事でブログ文化が衰退したように見えるけど、はてなブログ界隈とか見渡しても書きたい熱量を持った人はまだ居る。文章を書く情報発信はそこまで軟弱な強度ではないと思う。活版印刷以後延々と続いてきた情報伝達の手段だしね。
Googleのアルゴリズムがもっと成熟して、本当に多くの人間が読んでも素晴らしいと思えるような記事が評価されたりだとか、パッションで文章を書く人が評価されてるプラットフォームが新たに生まれるかもしれない。noteがそんな感じかなーと思ったけど、いまだ未成熟であるみたいだな。そういうのを加速させようと地道に書き続ける事はできるかもしれない。
僕はまぁ、ここでネットの文化を定点観測しつつ、くだらない文章でも書いていよう。それが僕の生存戦略だからだ。なんか面白いネット文化が隆盛したら、そちらに参加しつつもそこで経験したことはこのブログで書いて参ろうか。何はともあれ、僕はブログ文化がどうなるのかここでのんびりと眺めてる。