
ブログを書くことは心を形から整える。
はい、おはようございます。今日もブログを書いていこうと思う。昨日はニュースが賑やかだったね。高市早苗さんが総理大臣になった。日本初の女性総理ということで歴史的な一歩ではあるけど、気になる発言も多い。特に「ワークライフバランスをなくす」なんていう話。電通の事件を忘れたのかと思う。あれだけ過労死の問題が取り上げられたのに、また同じ轍を踏むのかと感じる。経営者の声だけでなく、現場の人間の生活をどう守るかを考えてほしいものだ。経済を回すと言うが、人をすり減らしてまで回す必要はない。
さて、政治の話はここまでにして、今日は「書く習慣」について考えたい。自分は毎日ブログを書いてもう3300日くらいになる。ニュースレターも書くし、Obsidianにもメモを残す。ここまで書く人間はそう多くないと思う。なぜ続くのか、自分でもよくわからない。ただ、確実に言えるのは「書くことが頭の整理になる」ということだ。書かないと自分が何を考えているのかすら見えない。だから、書くことは自分を保つ手段になっている。
それに、メンタルヘルスにも良い影響がある。書いて気持ちを整える。ブログ健康法みたいなものを、Kindle本にしてまとめても面白いかもしれない。ジャーナリングやセルフカウンセリングの延長として、誰でもできる日々のリセット法として提案できる気がする。
ただし、自分が気をつけていることがある。暗いトーンで終わらせないことだ。ネガティブな気分のまま書くと、あとで読み返した時にその気分が蘇ってしまう。だから、最終的には合理的な結論に着地させる。客観的に見て「まあ、こうすれば少しは良くなる」と思える地点に落とすようにしている。それを繰り返してきた結果、思考のクセや感情の処理の仕方が変わった気がする。
ブログは内面の反芻だ。思考の中を何度も回っていることを言葉にして出す。そのプロセスが可視化される。だからこそ、自分がどういう言葉を使うかが大事になる。マザーテレサの有名な言葉がある。
あなたの思考に気をつけなさい。思考は言葉になる。
あなたの言葉に気をつけなさい。言葉は行動になる。
あなたの行動に気をつけなさい。行動は習慣になる。
あなたの習慣に気をつけなさい。習慣は性格になる。
あなたの性格に気をつけなさい。性格はあなたの運命になる。
これを実感している。発する言葉が思考を整え、文章の形を整えることが性格を整える。だからこそ、自分は文章を「見られること」を意識している。誰かが読むことを前提に書くと、自分の言葉づかいも態度も自然と矯正される。自己憐憫に浸るだけの文章は書かない。書くことで自分を正す。それが自分にとっての「ブログ健康法」だ。
SNSには、ありのままの悩みを吐き出す人も多いけど、それを繰り返すと結局それが人格を形づくっていく。悲しみに居座るのではなく、言葉で外に出して形を与える。その形が自分を作っていく。だから、自分は文章を家の前に貼り出しても恥ずかしくないように整える。これは儒学の「礼」に近い考え方かもしれない。まず形を整え、そこから精神を育てる。礼が身につけば、自然と心も落ち着く。
ブログを書くというのは、まさにその「形から入る修養」に似ている。人に見せられる形を整えることで、自分を律する。書くことを通して、自分の内面を少しずつ整えていく。ブログ健康法――そう呼ぶにふさわしい習慣だと思う。