超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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人生の目的に僕なりの回答を出す。

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僕は一体何のために生きてるんだろう?


今日は仕事やりつつこんな増田を見かけてブクマしてたんですよ。


anond.hatelabo.jp


anond.hatelabo.jp


仕事をやりつつ人生の目的ってなんやろなーとか考えていたのである。大体僕の考え方としてはこんな結論だったけどね。



仏教なんかはまさしく生きる上での究極の真理を目指すような宗教だと思う。何もかもから解脱した悟りを開いた状態ってのは一切の悩みから解放された状態だろう。でも、ブッダの生涯なんかを考えると家族捨ててたり、苦行ばっかやってたりでロッケンロールな人生を送った上で悟ってるんで、あんま人生総体としての幸福度って高くねーなと凡人の僕は考えるのである。


そもそも人生の目的って何だろうね? アンパンマンのテーマだと、「何が君の幸せ、何をして喜ぶ、分からないまま終わる、そんなのは嫌だ」みたいな感じで人生の目的を追い求めるのが物語性のテーマみたいな所で、フィクションだと登場人物に何かしらの目標を持たせてそれに向けて大団円なりカタストロフなりさせにゃ物語にはならないというのはある。まぁ、「ゴトーを待ちながら」みたいな不条理劇だとアンチクライマックスもあるけど。


すべての物事の真理はなにかというのは西洋哲学での一つの主要なテーマだったりして、そのあたりはこちらでも書いた。


www.ituki-yu2.net


現代哲学の一つの到達点はレヴィナスの他者論のように、他者の存在があるという構造に真理を求めたりする感じなんですな。人間の実存もその実、他者の存在があるという構造に実存を保証されてるとかその辺りなんじゃないかと思うけど、文献も何も無い僕一人の考え方である。


それにまぁ、本当に哲学が真理なんぞにたどり着いてしまうと多分、人類の歴史が終わる。真理というのは最終到達点であり、それがゴールなのである。ゴールというのはその先が無い袋小路であり、その先に未来は無い。希望とか理想とかは未来が不確定だから抱ける概念だよ。でも、量子論における不確定性原理のように、主体が観測者である限り真理にはたどり着けないってのがレヴィナスの他者論の結論みたいですけどね。


僕の結論としては真理を求め続ける人間のセンスオブワンダーそのものが真理ということですけどね。例えばAIがシンギュラリティを起こした世界第二位の速度のスーパーコンピュータに「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」を計算させると、答えは「42」になる。これはGoogleでこのキーワードをそのまま検索しても「42」が返ってくるので暇があるなら試してみると良い。


ja.wikipedia.org


案外、人生の目的なんざ、適当に一生懸命働いて、本気で恋して、死ぬ間際には子供と孫たちにでも囲まれりゃ十二分に悟れる部類のもんじゃ無いかと思いますけどね。

今日の徒然


ランニングログの方のブログが設立半年記念のメールが来たんですよ。


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ランニング始めてそんなに経ったのかーと感慨深いですね。今は5kmぐらいなら週3回で毎回走れますけど、最初の頃は走りきれずに歩きながらなんとか1時間ぐらい掛けてからフィールドを回ってましたからね。


www.yuki-2021-running-log.net


この頃なんかがそうですかね。最初の頃はランニングしたら膝が痛くなって、整体に通いながら走ってたんですよ。整体はやっぱり凄いですね。それなりに効果はあるんですよ。それからランニングをしばらく続けていたら足は痛くならなくなりました。


ラソン大会にも一度参加していて、第一回糸満平和トリムマラソンに参加して5kmコースを完走しているんですね。それはこっちのエントリーで書いた。


www.ituki-yu2.net


別に5kmを45分なんでのんびりペースのランニングなんですけどね。でも、今追い込んでも40分切れるかどうか微妙だから僕の実力はこんなもんですけど。


僕がランニングを始めたのは村上春樹のランニングエッセイ「走ることについて語るときに僕の語ること」の影響なんですけど、どうもランニングみたいなスポーツのメンタリティと僕の性格ってぴったり合ってるぽいなーとも思いました。なんというか、僕は精神的マゾといいますか、自分の精神や肉体を限界まで追い込んで鍛え抜くのが大好きなタイプの人間なんですよね。ランニングやってみて特にそれを感じます。追い込みで自分の限界ギリギリまで追い込んで、それから解放されるのが好きみたいです。サウナとかそういうのも好きですし、これは性格的なもんなんだと思います。


しっかしまぁ、気をつけないといけないのは自分が忍耐とか努力とか好きなのは良いんだけど、それを他人に押し付け始めないかというのは心配ですね。別に他人にそこまで押しつけがましい干渉はしないように気をつけてるんですけど、自分が好きなタイプの人間というと何か目標に向けて頑張ってる人だったりするので、無意識的に人を追い込むような事はやってるのかもしれない。特に彼女さんとか素直すぎて頑張り過ぎちゃうタイプなんで、僕が無理を始めると二人で共倒れみたいなケースがありそうで不安である。大体僕は、自分の限界が自分でも把握できていないタイプなので無理をして気がついたらぶっつぶれる事が今までのケースなのである。あー、自重はせにゃなるまい。

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