超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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あまり強い言葉を遣うなよ 弱く見えるぞ。


dic.nicovideo.jp


別にBLEACHの話をしたい訳ではない。だが、この藍染のセリフは割と的を得ているなと感じた。


僕がこう言う事を考えるに至った理由は、プロブロガー系のブログを読んだ時に感じたんだけど、強い意味の言葉を多用するとかえって胡散臭くて信用出来なくなるんだなと実感したからだ。


なんちゅーかですね、彼らはその商売柄、いろんなアフィリエイト商品を絶賛するんですね。プロブロガーにもピンからキリまでいて、上位ランクの奴は多彩な語彙を使用して見事だと思う文章を書くんですよ。だけどさ、その文章の鮮やかさってのは一過性のものだと感じた。


上手い文章を書くなぁと思って、幾つか過去のエントリーを辿るとワンパターンですぐにウンザリするブログは、紋切り型の言葉を多用する印象がある。紋切り型は確かに強いインパクトを読者に与えるんだけど、全体の文意が薄くてぼんやりとしてしまったものになるんだ。作者の思惑以上の文章になったりするけど、そもそもの文意に内容が無いから竜頭蛇尾な悪文だ。


いやまぁ、ある程度文章を読み慣れた方で僕のブログを読み込んでる読者なら「お前が言うなよ!」とツッコムのは分かるんだけど、僕がステレオタイプな表現を使うのは意図してそんな読み味の文章を書く為だったりする。ブログの文章で村上春樹ばりの比喩表現なんて使うと読み辛くてすぐにブラウザバックですよ。ブログの文章ってのは、スラスラ読めて読み手の想像を裏切らない事が求められている。小説みたいに描写するために細かく事柄を散りばめた文章は、ブログだと悪文だ。ブログなりの文章技法って結構クセがあるなーってのは長年ブログを書いてきてからの感想だ。


例えばブログなりの文章技法って、太字とか文字色で読ませたい部分を強調する方法がある。これが上手いブログの文章は、ストレスなくスラスラ読めるクリアな読み味になる。僕が知ってるブロガーだと「今日はヒトデ祭りだぞ!」のヒトデさんはこれがめっちゃ上手い。


www.hitode-festival.com


ヒトデ祭りは結構な長文のエントリーばかりだけどストレスなく読める。口語体なんだけど、語彙力がすげーなと思う。割と理想的なブログの文章だ。


後は見出しなんかを使って段落分けした方が良いってのは定説だけど、あれはクローラーを意識したものであって人間視点ではない。


ああいう見出しを多用したドキュメントが推奨されるのはHTMLだからですよ。機械が読む文書だからこそ構造化が重要なんだけど、その理由は忘れ去られている。人間に読ませたい文章ならは見出しは邪魔。ブログの文章ってエッセイ的な所があるのに構造化した文書にする必要があるんだろうか?そういうデメリットまで全然考え及ばないのにやたらもてはやされてる気がするな。


SEO的な事を考えるならば仕方ないって言うかもしれないけど、構造化された文書とされてない文書でそれ程大きな差があるかなぁ?僕のブログは全然、見出しなんか使わないけど全体の8割ぐらいは検索流入だ。ミドルワードぐらいの規模でGoogle1位を取ってるエントリーもいくつかある。Googleクローラーって、すでに自然言語の解読がかなり高精度になってるから構造化しなくても読み取ってくれる。それよりは読んだ人が納得できるような内容の充実に努めた方がいい。


あとは強過ぎる言葉のデメリットなんかを説明していきましょうか。


「ゲス」とか「社畜」とかの強い意味を持つ言葉は目を引く。プロブロガー人種なんかのブログ講座では、こう言う強い言葉をタイトルなどに持ってきてインパクトをつけろと教えるが、やめといた方が良い。


初見の読者なんかにはインパクトがあるんだけど、二度三度と読み返してみると強い言葉は不愉快になってくる。それと、人間は刺激に慣れてくるともっと強い刺激じゃないと感じなくなるという性質がある。オオカミ少年じゃないけど、不必要な煽り文を何度も使ってると、そのうち誰も相手にしなくなってくるんだ。やたら強い言葉ばっかり使ってるブログはアジテーションのチラシみたいになる。そういうブログは初見ですら避ける。


ブログでのコミュニケーションってのは長いスパンを見据えた付き合い方が必要になる。表面的な派手さより、その人となりが伝わってくる丁寧さが必要なんだ。別に難しい理屈を語ろうとしているのではない。その文章を読んだ時に、興味を持てるような内容がきちんとある事がブログの文章法では一番重要。内容が無い文章ばっか押し付けてくる奴はどんなにテクニック使っても飽きられるもんだ。

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