
Pixivの小説賞に作品を投稿した。
はい、おはようございます。昨日は筋トレ休みの日だったので、創作関係の作業を優先した。以前書いた百合作品「私のいないキャンバス」をピクシブにアップするための編集作業。百合小説大賞の短編中編部門が2万字以内だったので、3000字ほどがっつり削って投稿した。
今回のやつは自分の趣味というよりは、過去作の整理に近い気分だったけど、結果的に共依存百合という自分の癖が全面に出た話になった。こうして並べると、自分の書いた小説は大体どれも百合絡みだなと思う。無自覚な偏りはある。
まぁ、元々の僕の創作の始まりが東方Projectの二次創作である。自然とカップリングが百合になってしまうというのはあるが、しかしまぁ別にNLが書けないというわけでもないのである。でも元の生まれというのは恐ろしいものであり、自然に書くと全てのカップリングがGLになるという。。これはもう業である。
そもそも賞に投稿するってどういう行為なんだろうと毎回思う。有名になるとか、受賞するとか、そういう目的がある人には明確なんだろうけど、自分の場合は自分のために書いている感覚が強いから、評価が目的という感じではない。
けど「評価されたら嬉しい」のも事実で、それを酸っぱい葡萄扱いする自意識もある。結局、自分は褒められたら喜ぶタイプで、他人に興味がないとか言いながら、承認には反応する。そういう矛盾を抱えたまま世間を渡っている。
出版については、今の時代は新人賞経由より小説投稿サイトのランキングの方が圧倒的に強い。流通も読者動線もそっちにある。だから、新人賞を狙うよりWebでポイントを積んでいく方が合理的だと思う場面は多い。
でも、それはそれとして賞に出すのも面白いので、時々こうして突っ込む。カクヨムなどは賞も多いので、そこに短編をちまちま投げるのも戦略として悪くない。けれど商業に乗りたい欲望はほぼない。好きでやってることを好きなまま続けたい方が強い。まぁ、これが賞を取ったらまるっと態度を変える可能性もあるので、あんまり断言するのも恥ずかしい気もする。
最近ラッセルの『幸福論』を読んでいて、絵が上手くなる条件についてのくだりが目に入った。技術云々ではなく「絵を描くこと自体が好きな人」が伸びるという主張。これは創作全般に当てはまる。評価をゴールに据えて創作を始めると燃え尽きる。逆に、描くこと書くこと自体が面白いなら長く続く。
自分は10代から創作を続けているので30年近い蓄積になる。そのスパンで見ると、評価は重要だが評価を基準に書くのは苦行になる。自分が満足できるものを書き、それが評価されたら嬉しい。それぐらいの距離感がちょうど良い。
ラッセル幸福論はまだ途中なので、帰りにウォーキングしながら読む予定。ジムのトレッドミルでもいい。日常の中に学びがあるのは悪くない。というわけで「私のいないキャンバス」をピクシブに置いておいたので、興味があれば読んでくれたらありがたい。
