超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

また承認欲求に振り回されておるなぁ。

また承認欲求に振り回されておるなぁ。


はい、おはようございます。さて、水曜日。断水のおかげで生活がごちゃついてたけど、昨日のうちに洗濯や片付けを済ませて、ようやく日常に戻せた感じがある。こういうアクシデントは止めようがないし、たまには起こるものだと理解してるつもりだけど、やっぱり生活リズムが崩れるとそこそこ響く。ただ、今回はコンビニ食で皿洗いを減らすなど、負荷を抑える工夫はできたので、混乱は最低限に抑えられたかなと思ってる。


最近よく考えるのは、普段の生活で睡眠・食事・運動のバランスを安定させておくことが、こういう予期せぬ混乱に耐える土台になるということ。これが整っていると、多少の生活の乱れがあっても立て直しやすい。逆にここが崩れていると、一つのアクシデントで一気に連鎖的にメンタルも落ちていく。


それと、生活の中の小さな楽しみをどう拾うか。これは最近のテーマになっている。大成功やバズみたいな派手で外部評価依存の「快楽」ではなくて、日常にある質の違う満足感を重視するという方向性。これを言語化すると、承認欲求を過剰に刺激するプラットフォームから距離を置き、自分の手元に戻ってくる喜びを優先する、という話だと思う。


最近、小説の「名無しの幽霊と感情を忘れた君」をkindle出版したじゃん? それでその数字が自分の価値と結びつきやすくなる問題が出てきた。これは典型的な認知バイアスで、評価指標が見えると人間はそれを自己価値と誤結合しやすい。小説投稿サイトが苦手なのもこの構造と一致する。数字が動かない → 自分が劣っている、と短絡的に処理しやすい。実際には作品の良し悪しとバズはほとんど相関がないのに、心理的には結びついてしまう。


だから、自分はあえて数字を見ないようにしている。SNSをやめたときに感じた心の静けさと同じで、刺激源そのものを断つのが最も確実だから。承認欲求は消せないし、抑圧しても逆効果なので、「環境側を調整する」ことが合理的だと判断している。


その代わりに、生活の中にある「自分に返ってくる喜び」を優先する。例えばコーヒーの味が良かったとか、小説が一段落したとか、ブログを書けたとか。こういうものは外部環境の気まぐれに左右されにくい。その意味では、最近ブラックフライデーで買ったエチオピアゲイシャを淹れて楽しむみたいな行為は、自分の生活に質的な満足を追加する有効な手段でもある。


要するに、今の自分に必要なのは、承認欲求から距離を置きつつ、生活の中で「確実に手元に残る喜び」を積み上げること。小説もブログも、やるべきことを淡々と積み上げていけばよくて、数字に振り回される必要はない。バズや売上は努力の結果ではなく、運とタイミングの影響が大きい。そこに価値判断を預けると、安定は永遠に得られない。


だからこそ、自分の生活の中に「揺らがない軸」を作る。その軸こそが睡眠・食事・運動であり、小さな楽しみであり、コツコツ続ける創作活動なんだと思う。

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