
日々の生活の感覚をしっかりと感じ取ることか。
今朝は、まずひとつ決めたことがある。しばらくは無理をしないで生きる、ということだ。
理由は単純で、どうにも調子が悪い。沖縄は朝から雨で、3月も終わりに近いのに、このまま梅雨に流れ込むんじゃないかという妙な不安がある。天気のせいにするのは簡単だけど、実際、こういう湿った空気の日は決まって体が重い。昨日は映画を観に行って、少しでも回復しようとしたけど、主観的な体調の悪さは相変わらず居座ったままだ。
体力自体は戻ってきている気もする。でも神経の方が擦り減っている感じがあって、こっちしばらく長く寝たくらいじゃどうにもならない。結局、睡眠を整えながら時間をかけて回復させていくしかないんだろう。そう考えると、無理を重ねる理由も特にない。仕事をして、絵を描いて、筋トレをして、そういう生活は続いていく。その中で、無理のない範囲で小さく試して、小さく改善していく。それくらいの温度感がちょうどいい気がしている。
ただ、ここでひとつ問題がある。生活を安定させようとすると、どうしてもマンネリが忍び込んでくる。僕の毎日は基本的にルーチンの繰り返しだから、放っておくと世界がどんどん平板になっていく。その中で、ほんの少しでもいいから変化を差し込む必要がある。
昨日の映画もそういう試みのひとつだったし、別にそれは大げさなことでなくてもいい。例えば、季節の変化に目を向けるとか、天気の移り変わりをちゃんと感じるとか。日本にいる以上、本来は四季という豊かなグラデーションがあるはずで、沖縄だとそれが少し薄いとはいえ、それでもゼロじゃない。夏と冬しかないように見えて、その間にもちゃんと小さな差異がある。
そういうものを拾い上げていく感覚は、案外バカにできないと思う。ネットの中の情報は刺激が強すぎて、放っておくとそっちにばかり意識を持っていかれる。世界では相変わらず戦争が起きていて、どこかの独裁者が何かをやらかしている。そういうニュースは勝手に流れ込んでくるし、無視するのも難しい。
でも、その中で自分の生活のリズムを守ること、それを淡々と続けることは、ある意味で優雅な復讐なんじゃないかと思ったりもする。世界がどう転んでも、自分の一日は自分で引き受けるしかない。その範囲の中で、納得できる形で生きる。それだけは手放したくない。
もちろん、すべてに納得しているわけじゃない。ただ、少なくとも自分がコントロールできる範囲では、納得していたい。周囲の状況に振り回されてジタバタするよりも、季節の流れや日々の出来事をじっくり眺めて、そのひとつひとつを味わう方が、結果的にはちゃんと生きている感じがする。
人生って、耐えることだけに使うにはあまりにももったいない。しんどいことはどうしたってあるけど、それだけで埋め尽くす必要はないはずだ。美しいと思えるものとか、純粋に楽しいと感じられることとか、そういうものにもう少し意識を割いてもいい。
映画でもいいし、絵を描くことでもいい。そういう体験のひとつひとつに、ちゃんと神経を通わせる。それだけで、同じ一日でも密度が変わってくる。
「人生は生きるには長すぎるが、死ぬには早すぎる」みたいな言葉があるけど、あれはわりと的を射ていると思う。何も考えずにだらだら過ごすには長すぎるし、何かを成し遂げようとすると急に時間が足りなくなる。その中間で、自分なりに価値を見つけていくしかない。
だからこそ、無理をしないという選択は、単なる逃げじゃなくて調整なんだと思う。調子が悪いときは立ち止まって、その分だけ感度を上げる。小さな変化や、美しさや、ささやかな楽しさを拾い上げる。
そうやって、自分なりに納得できる形で日々を積み重ねていく。それが結局、一番現実的で、一番しぶとい生き方なんじゃないかと思っている。