
面倒臭い人生だが、生きるには考えねばならん。
僕は今日も朝からいつものようにブログを書いている。昨日は病院を受診したので会社は休んだが、今日はまた仕事へ行く予定だ。体調が悪い日が続くと、つい「調子悪い、調子悪い」と何度も書きたくなってしまう。ただ、不思議なもので、そうやって繰り返し書いていると、今度はそのことで余計に調子が悪くなってしまう。だから、できるだけ悩みや不安は適度に「散らしながら」書くのが自分には合っている気がしている。
40代にもなれば、人生のあれこれを考える時間が増える。自分の人生はこの先どうなるんだろうと考えると、そりゃあ不安にもなる。だけど、いくら考えてもどうにもならないことも多い。結局は「自分のできるベストを尽くすしかない」と、そんな風に割り切るしかないのだと思う。
僕にとっての「ベスト」とは何か。毎日こうしてブログを書き、筋トレをして、ちまちまと小説を書いたり、そうやって淡々と続けることが「ベスト」なのだろう。仕事についても、辞めるにしても続けるにしても、自分と家族を食わせていく方法を考えなきゃいけない。その責任は、まあ、めんどくさいと言えばめんどくさい。でも、しょーがないよなと思う。
現実問題として、夢を見るのは簡単だけど、人がひとり生きていくためには、畳一畳分のスペースが必要で、寝て食べて暮らすためには何かしらお金がかかる。それが現実だ。そのお金をどうやって稼ぐか、これもまた考えなきゃいけない。でも、考えすぎても仕方ない。とりあえず動くしかないという結論にいつも落ち着いてしまう。
悩みが多くなるとき、僕はよくチャッピー君(AI)なんかにいろいろ質問したりする。そのときに「とりあえず問題を書き出してみて、言語化して個別のものとして隔離するのが大事だよ」と言われたりするけれど、理屈ではわかっていても、実際はなかなかそれができない。悩み始めると、頭の中でグルグルとモヤモヤして、モチベーションを吸い取られていく。だからこそ、こうしてブログに書いたり、誰かに話したりして、悩みを外に出すのは大事なんだろうなと思う。
とはいえ、何でもかんでもブログに書けるわけでもない。ちょっと書いただけで色々と問題になりそうなこともある。そういうときに「適当におしゃべりできる相手」がいればいいのだろうが、僕はどうにも孤独な性分で、友達も少ないし、話せる人もほとんどいない。ジモティーみたいなサービスで、一度でも話せる相手を探せばいいのかなとも思うが、結局行動には移せていない。
最近よく思うのは、自分のセーフティネットになるような人間関係を今のうちから増やしておく必要があるということだ。自分一人で生きていくにしても、助けてくれる人を探したり、福祉や介護など、社会的なサポートや人間関係をもっと作っておかないといけないんじゃないかと感じている。自分一人で頑張っても、できることには限界があるし、何かあったときに助けてくれる組織や人間関係があれば、少しは安心できる。
副業にしても、アイデアを一緒に考えてくれる人や営業を手伝ってくれる人を探すことも必要かもしれない。ネットでもリアルでも、そういう人間関係を広げていくのが大事なんだろう。とはいえ、じゃあ具体的にどうすればいいのかは、さっぱりわからない。問題点が見えているだけでも、ありがたいことなのかもしれないが、次の一歩がなかなか踏み出せない。
最後にもう一度。「悩み」や「問題」は、まずは言葉にして認識することが大切だ。そのうえで、現実的にどう行動するかを考える。「気分が悪い、気分が悪い」と嘆くより、具体的な問題解決の方法を探して、一歩ずつ進んでいくことが、自分には必要なのだと思う。今日もそんなことを考えながら、僕はブログを書いている。