超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

とりあえず自分の周囲5mの人を大事にしようという話である。

とりあえず自分の周囲5mの人を大事にしようという話である。


今日は午前中にはカウンセリングに行ってきた。「人生ってクソつまんねーですよねー」(意訳)的なことを話してきた。


それから午後はニュースレターを書いたのちに入院している母親の見舞い。今日は親戚の人たちも来てたので、色々と話して帰ってきた。


このブログを書いてるのはちょうど18時ごろである。これが終わったら飯を食い、明日の食事を作って風呂に入り、ちょろっと小説をいじって寝てしまおうと思う。


なんじゃろ、昨日のエントリーでは風邪気味と書いてたけど、薬を飲んで早く寝るようにしたら体調は随分と楽。でも、明日はサウナはやめとこう。病み上がりに体力を削るようなことをしても仕方ない。


今日は特にブログに書けるようなことがない。いや、それを言えば毎日書くことがない中から色々と話題を捻り出して書いているのだけど、今日は特にない。プライベートのことは本当にプライベートすぎて書けやしないし、ネットの情報は嫌なことばかりであんまり言及したくない。


そういや僕はTwitterなどの短文SNSを絶って、随分と経っているけどそれで別に困ることないよなーというのを書いてみるか。


僕はもう、最近はまじでSNSを見てないんですよ。基本的に情報発信ではこのブログとニュースレターを使い、情報収集ではRSSリーダーポッドキャストなんかで情報を集めてる。それでどういう結果になったかというと、随分と性格が穏やかになって人当たりが柔らかくなった気がする。


というか、ここ最近のSNSの噂なんかを聞いても、外国人排斥だとか政治関係のことばかりでバトってる人達ばかりらしいじゃないっすか? 僕はそういうセンシティブな話題をネットで論争するのは無意味どころか有害だろうなーと思う。


最近は社会の分断が問題になってるけど、そりゃ当たり前である。正義マンはお互いに相手を論破して屈服させることを目的にしてる。リアルの方の議論を見てたらわかると思うけど、どれだけ正論で正しい意見としても、会議とかを進行させるためには根回しとかして意見の妥協点を見つけとかんとならんのに、お互いに喧嘩腰でしか話ししない。


そもそもネットの議論で有意義にするのが無理だろうなーと思うのが、議論をしようと思うのならまずは相手に対するリスペクトというのがないと、自分の方でも相手の話を聞く気が起こらん。だけど、ネットでやってることは最初から相手を屈服させて、相手の内心に自分の旗を突き立てようということで、そりゃどんなもんも話はまとまらんだろうというかんじ。


色んな複雑な社会問題ってさ、答えが白か黒かの二択じゃないんだよね。それぞれ複数のステークホルダーの合意点とかを拾って、グレーの中に答えを見つけんとならんのだけど、そこに単純明快で一つの答えを出そうと思うからややこしくなる。


最近のネットの状態なんかを見ていると、SNSアルゴリズムの攻略法としてアテンション・エコノミーが有効だから、こんな状態になってるんだろうなーという感じ。社会問題は複雑で、それぞれの関係者がいればその関係者の視点での答えがあるのに、「あいつらは全員間違ってる! 俺の答えが唯一だ!」と叫ぶ方が目立つから、真実として扱われるのである。


難しい社会問題に対して、しっかりと頭を使って考えることは「ネガティブ・ケイパビリティ」とかそういう用語で言われる。複雑な問題を抱えて考えている不愉快な感情に耐える力なのだけど、ネットで大量の情報が溢れる情報社会の現代は、人々の心からそのネガティブ・ケイパビリティが失われている。


実際、日本での外国人の問題なんかも、例えばこういう視点がある。少子高齢化で働き手が減ってる経営者視点はどうだ? 福祉や農家の現場ではすでに外国人の人手なしでは回らない状態なのはどうみる? 犯罪率なんかもn=1で犯罪を犯した個別例だけ取り出すんじゃなくて犯罪統計全体での外国人の比率とか出してみろよとか色々と切り口はあるんだけど、手っ取り早く外部に敵を作った方が組織はまとまりやすい。


みーんな、複雑で面倒なことは考えたくないからSNSとかで自分が気持ちよくなる意見だけを集めて、エコーチェンバーの中でそれぞれに最適化されたTLの情報だけで考える。人々は複雑なことを手間をかけて考えるのではなく、YoutubeとかSNSインフルエンサーの単純明快で痛快な答えに飛びつく。


ま、僕の視点としては、これは別に平成の時代でTVで醜悪なワイドショーばかり見て世間を論じてるのと変わらんのだろう。多くの人を動かそうと思うのならセンセーショナルで刺激的な情報の方が視聴率がとれる。SNS時代でも、敵を見つけて刺激的な言葉で痛快に叩いてる話が、読んでる方も気持ちいい。民衆を動かしてるのがTVのワイドショーからネットのSNSに変わっただけである。


まぁいいんすよ。議論をしたいと思うのなら、せめて建設的な代替案とか妥協点とか出せと思うんだけど、どうせみんな言いっぱなしでいいね押されて気持ちよくなりたいので、それはどうでもいいんだろう。


ちなみに僕自身のこの文章の着地点としては、だから「社会はクソである」である。一人一人はまともな人格を持ってる人たちでも、人間が集まるとすぐに思考の手を抜いて、単純なイデオロギーに乗っかって喧嘩を始める。自分自身もその力場とは無関係であろうとしても無理なので、エピクロス箴言に従って「隠れて生きよ」である。わざわざ顔も見えないようなネットの大多数と付き合うよりも、半径5mの人たちを大事にしましょ。

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