超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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僕の陰謀論だとかそういうものに対する考え方について。

僕の陰謀論だとかそういうものに対する考え方について。


なーんじゃろ。今日の仕事では特筆すべきようなことはなかったけど、沖縄で広がってるコロナが怖すぎだね。このような記事があった。


news.yahoo.co.jp


8月14日段階で沖縄本島の病床使用率が100%を超えちゃってるらしいのね。今現在、下手に病気とか怪我とかをして入院が必要になっても入院できない可能性がある。無論、コロナに感染したとしても自宅療養になってしまうだろうし、苦しみながら我慢しないとならなくなるかも。


コロナの感染者は身近にもたくさん出てくるようになってるよ。会社の同じオフィス内でも感染者が複数人出てるし、親族もやられた。僕は今んところ感染しているような気配もないけども、いつやられるか分からない状況だ。


沖縄のコロナ新規感染者数は連日5000人とかそういう状態が続いていたけど、最近、ようやくピークは超えたかなという風な微妙に減少傾向だ。でも、なんか新種の「ケンタウロス株」というのがまた日本にも入ってきているらしく、おそらく沖縄でも感染が広がっていくのではないかと思われる。どうやら沖縄というのはそういう変異種の先行指標になっちゃうことが多いらしく、広がってくるのは時間の問題だろう。


ブロ友さんのところを巡回していても、コロナにやられている人というのは結構多いようであり、自分もやられるのも時間の問題かなと思ってる。まー、ワクチンは3回接種してあり、感染したとしても無接種よりは症状は軽くなるかとの予想。NHKのニュースなんぞを観測していると、10月ごろにはオミクロン株にも対応した二価ワクチンというのが輸入されてくるらしいし、10月まで乗り切ればひとまずは一息つけるんじゃないかなと思われる。


しっかしまぁ、オミクロン株がデルタとかと比べれば比較的症状が軽いとはいえ、世の中の空気の緩みようはすごいですな。観光客とかも入りまくってるし、経済は一応、回復基調になりつつある。withコロナって言ったって、いつまでこんなマスク付きの生活をするのかな?というのは気になるところである。どうも、日本人の性格的にずっとマスク外さないのが常識になるのもありえない話ではない。


ワクチンの4回目接種をどうするかとかの話題にしても、私見にはなるけど、何も考えずにホイホイと受け入れるのもどんなもんかな?というのも気になるところである。なんか、僕個人の話になるけども、コロナワクチンの3回目接種は本当に辛かったのよ。38.5度ぐらいの高熱が下がらなくて二日近くも寝込んでしまった。ちょっとコロナワクチンの副反応が強すぎて、4回目接種はどうするべきなのか考えちゃうのよ。


ネットで見かけるニュースの統計などを確認してみても、4回目接種は高齢者や基礎疾患があるものなどの重症化を抑えるぐらいの役割でしかないみたいだし、10月に入ってくるオミクロンに効く二価ワクチンが入ってくるまではファイザーとかモデルナのmRNAワクチンはご遠慮しとこうかなーと思ってる。


本当まぁ、令和の時代に入ってから世間の流れというのが激動の時代に入っており、情報収集というのが重要な問題になってるのだなーと感じる。コロナの情報にせよ、政治の情報にせよ、ネットでは洪水のように情報が溢れているのであり、中にはフェイクニュースのような意図的に情報の取得者を騙そうという情報まで紛れ込んでいる。


無論、大手のマスメディアが報道しているからと言ってそのニュースを鵜呑みにするのもいけないのだけど、既存メディアを批判的思考で否定している人がその反面、反ワクチンや陰謀論のようなものを盲信しているケースというのもたくさんみてきた。このような人たちはマスコミに対しては批判的思考をすることはできてるのだけど、陰謀論などに対してはその思考は働かないらしい。


まー、でも、真に科学的に正しい思想だとかいうのは決めるのも難しいもんだよなと思う。例えば、ウクライナ戦争の情報については、日本の大手メディアで報道されるのは西側諸国の正義によるプロパガンダみたいなもんも多大に含まれてると思うんよ。あの戦争の本当の理由を調べようと思えば、ウクライナとロシアの昔からの関係とか、ここ近年、ウクライナからも自国内のロシア系の住人に圧力をかけることがあっただとか、そういう複眼的な視点から見なきゃならんかなと思うんだよね。


僕的には、その報道されてる物事が正しいかどうかは反証可能性があるかどうかなどを気にするようにしてる。


ja.wikipedia.org


陰謀論みたいなやつは、どれだけ現実と矛盾しようとも次々理屈を継ぎ足し継ぎ足しして、ドグマを信じるために信じる宗教みたいなところがある。一応、建設的なメディアの報道は、それを批判する意見も含めて議論を行うことができる。トライ&エラーを繰り返しつつ漸進的に真実に近づくことができる情報こそが信じるに足りるというのが、僕の情報の信憑性に対する態度である。

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