超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

お絵描きを継続して続けるにしてもモチベーションをどう保つか?

お絵描きを継続して続けるにしてもモチベーションをどう保つか?


金曜の朝。ようやく週末が見えてきたな、というところで今日もブログを書く。昨日は筋トレの休み日だったから、絵の練習をいろいろやっていた。こういう「何もしないと不安になる日」に、ちゃんと別のことに手を動かせるようになったのは、まあ悪くない変化だと思う。


結論から言うと、今の自分の絵の一番のネックは、体の立体感だ。斜めの構図とか、あおりや俯瞰っぽいものはそれなりに描ける。でも、腰が入ったポーズを描こうとすると、途端につまずく。骨盤と胸郭の連動、その動きがまったく取れていない。ここが弱点なんだな、とかなりはっきり自覚した。


理由は単純で、体の「バース」をちゃんと捉えられていないからだと思う。重心がどこにあって、足の裏がどう地面に設置していて、そこにどう重力がかかっているのか。その感覚が曖昧なまま描こうとしている。正直、そこまで意識して描けている人なんて、そうそういない気もする。でも、自分が気になってしまった以上、無視できない。これはもう、趣味としてやっている以上、避けて通れないところだ。


こういう基礎練をやっている背景には、自分の創作スタイルがある。何か書きたい、描きたいものが出てくると、一気に過集中で走ってしまう。火がついたら最後、止まらずに最後まで行って、完成と同時に燃え尽きる。そのあと一ヶ月くらい、心身ともに調子が落ちてフラフラする。これ、もう何度も繰り返してきた。


だから最近は、走り出す前にエネルギーを溜める期間が必要なんだろうな、と考えるようになった。過集中のサイクル自体をどうにかしたい、というより、どう付き合うか、だ。止めるのは無理だと思っている。小説にしてもイラストにしても、一気に書き上げられるのは、自分の強みでもある。興味を持った瞬間に、ある程度の形まで持っていけるのは、才能と言ってもいいのかもしれない。


ただ問題は、その後だ。燃え尽きた状態で落ち込むと、評価の範囲が一気に広がる。今回の出来が微妙だった、で終わればいいのに、自分の人格だの人生全般だのにまで話が飛ぶ。ろくでなしなんじゃないか、とか、生き方そのものを否定し始める。これは本当に良くない。


だから意識しているのは、落ちているときに評価を拡大しないことだ。うまくいかなかったとしても、「でも一応書き上げた」「形にはした」という事実だけを見る。成果は成果として認める。自分を追い詰めすぎない。自分の場合、これがかなり顕著なんだと思う。


達成しても、すぐに「こんなもん大したことない」と自己卑下に走る癖がある。これで相当、精神を削ってきた。もう少し自分を褒めてもいいんじゃないか、と思う。いわゆる自己肯定感の話だろうけど、何かできても自己評価が低すぎるのは、さすがに考え直したほうがいい。


冷静に考えれば、この歳まで生きてきている時点で、それなりにやることはやってきているはずだ。生きているだけでも大したものだ、という言葉を、いい加減自分にも適用してやる必要がある。何もかも素晴らしいと思え、という話じゃない。ただ、やるべきことをやっているなら、自分を認めることは必要だ。


もう40代だ。「まだまだこれから」だけで逃げられる年代でもない。今持っている能力で、結果を出していくことが求められる。基礎訓練はもちろん大事だし、死ぬまでやめられない。でもそれと同時に、手癖でも何でもいいから、とにかく作品として作ってしまうことも大事なんだと思う。その中で満足いくものができれば、それでいい。


絵に限らず、構造理解はすべてに通じる。手癖が絵柄になるのも事実だけど、構造を理解すると見える景色はまるで変わる。これは生き方も同じで、感覚だけでうまくやれるほど、世の中は甘くない。考えて、行動する。その癖を、ちゃんと身につけていきたい。


結局のところ、今日言いたかったのはこれだ。過集中も、基礎練も、自己評価の低さも、全部ひっくるめて今の自分だということ。その現状を否定するんじゃなく、理解した上で、どう使っていくかを考える。それが今の自分にとって、一番現実的な前進なんだと思う。

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