
人生の中での書くという行為について。
最近、小説を書くのがマイブームだ。仕事が終わって帰ってきたら、とりあえず一息ついて、パソコンの前に座る。そして、ちょっと書いてみる。そんな感じの生活になってきた。
というのも、またいつ開発の仕事に戻るかもわからないし、書けるときに書いておこうという気持ちが強い。これまで5万字くらいが自分の限界だったけれど、今回は10万字に挑戦してみようと思っている。チャッピーくんと話していて、3部構成にして、それぞれを5節、さらにその中を3エピソードずつに分けて、1エピソード1500〜2000字で書いていけば、自然と10万字いけるんじゃないかというアイデアをもらった。そのやり方を試しているところだ。
Kindle本もそうだが、どうせ書くなら新人賞に出してみようかとも思っている。もし賞に通らなかったら、その作品をそのままKindleで本にする。そういう二段構えの方法を考えている。プロの目線での感想が欲しいという気持ちが、けっこう強い。自分で読んで面白いと思っても、それがどれくらい客観的に評価されるのかは、なかなかわからないものだ。
ただ、僕の小説って、ちょっとクセがある。キャラクター小説のフォーマットに、つい人生観とか生死観とかをねじ込んでしまう。キャラ同士の掛け合いの中に「人間とは」とか「生きるとは」なんてテーマが顔を出す。そんなもの、一般の読者は読みたくないかもしれない。キャラクターの可愛さや会話のテンポを楽しみにしている読者にしてみれば、急に哲学の講義を始められるようなもので、そりゃ読みづらいだろう。
でも、そういう小説が僕は好きなんだ。自己満足だとしても、どうしてもそこに向かってしまう。万人受けするものより、自分自身の考えや生き方を込めたものを書きたい。どこまで成長できるかはわからないけれど、とにかくいろんな書き方を試してみて、フィードバックをもらいながら、やれるところまでやってみようと思っている。
将来のことはあまり考えていない。でも、やっぱり「すごいもの」を書きたい。自分の考え方や生き様がにじみ出るような、読んだあとに何かが残るような作品を目指している。人生において何を残せるかと考えたとき、僕には文化的なミームくらいしかない気がする。だからこそ、毎日ブログを書いたり、長い記録を残したりしている。自分の書いた文章が、誰かの中に何かを残すことができたら、それで十分だ。
過大な自信があるわけじゃない。けれど、小説を書くことで、自分の中の価値観や人生観が自然と浮かび上がってくる。それが他人に伝わればいいなと思う。たくさん読んで、たくさん書いて、自分というフィルターを通して世の中を見つめて、言葉にしていく。そういう行為の積み重ねが、自分の生き様を形にするんじゃないかと信じている。
何かを書きたいという気持ちがあれば、色んな人の文章を読みまくり、そして自分も書く。そういうことでしか表現ができない人間であるし、それが自分の生き方だ。随分と不器用な気もするが、別に器用に生きたいとも思わんしな。
結局のところ、人生がうまくいかないからこそ、人は表現をしたくなるのだと思う。満たされた人は、そもそも書こうとは思わない。足りないものがあるから、言葉にして残したくなる。僕も、たぶんそのひとりなんだろう。考えて、書いて、読んで、また書いていく。そうやって、自分という存在の記録を残していきたい。