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「マチネの終わりに」(平野啓一郎著)を読了した。

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「マチネの終わりに」(平野啓一郎著)を読了した。


さーてどうしようか、平野啓一郎の「マチネの終わりに」を読了したのだけど、嫁さんも読んでる途中らしくてネタバレだとこのエントリー読みたくないらしいんだよね。僕はどうやら、ネタバレを回避できるほど器用な書き手では無いらしいので、ネタバレ嫌な方は読まないでください。警告はしましたよ?






率直に一言でまとめると、人間の掘り下げがすごい小説だと思った。


序盤を読んでるときに人間描写が薄っぺらいと思ったのよ、なんかクラッシックの演奏者と戦場記者がパリのオシャレなレストランでワイングラス傾けつつでちゃらちゃら恋愛しているみたいな話だったのでトレンディードラマっぽい薄さを感じた。この平野啓一郎という作家は、前読んだ「ある男」でもそうだったのよ。なんか、カッコつけてバーで男女が飲んでて話が進んだりするのよ。ギザなんでしょうね。だけど、後半に進むに従って、人間の内面の掘り下げがぐんぐん深くなっていった。この二人の立場で主人公にしたのは必然性があることだったんだなということを、最後まで読んで問答無用で納得させられた。


テーマ的には真の愛とはなにか?とか才能とは何か?みたいな事を描写した作品だと思う。


二人の男女が引き合ってしまうんだけど、ありえない不運な事件で引き裂かれてしまう。その愛の深さ故に二人共苦しみ続けるんだけど、事件の記憶も許してしまって成長したあとのさらなる深いコミットをする、みたいな。


なんか、芸術の表現が気になったです。主人公はクラッシックギターの奏者なんだけど、才能というもののあり方という事が重要なテーマになってきます。この物語では音楽で人生を救われる。芸術というのは音楽に限らず、送る側も見る側も人間の深い所で救済してしまう所がある。主人公はスランプに陥ることで、却って人生の深いところを理解してしまった。不幸によりスランプに陥ることで芸術家という生を本気で生きて、本当に自分でも納得できる作品を完成できたのではないかと思う。


クライマックスで書きたかったのは、過去のしがらみもトラウマも何もかもを引き受けて、レーザーの様に過去から未来まで全部突き抜けてしまうような全人格的に認めあって繋がっちゃうような出来事だったんだろう。そして、実際に実現しちゃうんだよね。こういうセリフがあった。

「自由意志というのは、未来に対してはなくてはならない希望だ。自分には、何かが出来るはずだと、人間は信じる必要がある。そうだね?  しかし洋子、だからこそ、過去に対しては悔恨となる。何か出来たはずではなかったか、と。運命論の方が、慰めになることもある。」


村上春樹的な「壁抜け」なのかな?と思うんだけど、人間が深い所で繋がり合う媒体に音楽を使っていた。僕的にはクライマックスの演奏シーンまで必要もなかったのではないかな?って気もしなくもない。二人がそれぞれ、CDを買ったり、ネットで近況を調べたりの薄いつながりでなんとなく面影を感じ合う辺りで終わらせてもいいかと思った。ああやって本当に出会ってしまうと、おそらく二人の家庭とも壊れると思うんだけど、本当に二人共成長したあとなので愛を完成させるにはああやって再会する出来事で物語が終わるのかな?と思った。


愛し合う二人は本当に出会う最後の瞬間に向けて、絶望的な不幸な別れの原因になった恋敵までも許して認めてしまう。二人の男女が愛で繋がり合って完成形の人間を作る瞬間を描こうとした作品なのでは?と思った。プラトンも「愛は一つになりたいという願いである」という事を述べているんだけど、愛とは二人の人間が一つの完璧な球形を目指す働きなのである。


www.ichijyo-shinya.com



平野啓一郎の作品に関しては「ある男」に続いて、今回の「マチネの終わりに」も読んでみた。「ある男」の感想はこちらである。


www.ituki-yu2.net


「ある男」でもLINEとか東日本大震災とかそういう現代的なギミックを多用するなーと思ったけど、今作でもそうでしたね。どうも作者の平野啓一郎氏にとってはそういうネット文化が全盛期の震災後の現代が作家として重要なテーマのようである。


この作品ではリーマンショック東日本大震災が重要な役割を果たすけど、そういった社会的な事件のあとに現れる、美しくあれ醜くあれ、人間の本性を平野氏は描き出している。


この作品では「救済」もテーマになっていた。才能に振り回されて超絶技巧であるけど人間味がないなどと酷評されたりする演奏が、苦しんで人間的成長を遂げたあとは深みを持つようになる。その後の作品はいろんな人を救済していくのだけど、今まで認められなかった自分の人生をも全部認めて救済してしまうのである。やっぱそのためには一つの球体として完成しないといけなかったので、出会わないといけなかったんんだろうな。


なんか、僕的には、こういう人間が深い所でコミットするような作品は大好物です。僕自身、小説を書いたりするのだけど、こういう人間がたどり着く最奥みたいなものを描写できるような作品を人生の中で一度でも書いてみたいと思うのです。


マチネの終わりに (文春文庫)

マチネの終わりに (文春文庫)

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