超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

瞑想でメタ認知はできてるんだけど、感覚に飲まれる。

瞑想でメタ認知はできてるんだけど、感覚に飲まれる。


はい、おはようございます。今日は月曜日の朝であるね。仕事であるからさっさと行くような感じだけど、沖縄なんか暑くて大変だぞ。昨日の夜もクーラー使ったし、ほんとさ、地球温暖化がどうなってんのか知らんけど、11月の半ば過ぎで28度前後ってさ、ちょっとどうかしてるよなと思うわけよ。春と秋が消えて、夏と冬しか残らねえっていう話がさ、いよいよ現実味を帯びてきた感じがするよね。個人でどうにかなる問題じゃないから、まあ嘆いたところでしょうがないんだけど。


さて、今日何を書いとこうかなと思った時に、やっぱ最近はストレスコントロールだなと。特に、母親の対応をずっとやらないといけないことでさ、自分のストレスがじわじわ溜まっていくのが見えるのよ。自由が制限される感じがして、常に心がざわついてる。だんだん自分が悪い気がしてくる。よくない。昨日もサウナで整いながら考えてたんだが、このストレスをどう扱うのか、結局ポイントは「体に影響を及ぼさない」ことなんだよね。


ストレスってさ、不思議なんだけど、感情としては不愉快でも、それが体の反応と結びつかないようにできれば意外と平気な顔できたりするわけよ。イラッとしても、「あ、イラッとしてるな」ってまず認識して、そこから距離を置く。呼吸に注意を戻して、その身体反応が暴走しないようにブレーキをかけていく。結局、怒りや不快感そのものを消すんじゃなくて、認識しても受け流す感じだな。


でも難しいのがさ、メタ認知って言うけど、これ自体が揺らぐ時があるのよ。母親が夜中までテレビ見てたり、YouTubeダラ見したりしてると、こちらが眠れなくてイライラする。その時に「呼吸に戻せ」とか「観察せよ」とか頭では分かってても、そもそもその観察する主体が荒れてる感じがあるんだよね。メタ認知ごとよれていくみたいな、「これ意味あんのか?」みたいに否定的なループに入る時がある。


瞑想歴は長い方だけど、それでもこういう「感覚の受け流し」が体感がよくわかっていない。なんか、自分の体の中の微細な感覚をキャッチして、それをただ眺めるってことをやろうとしても、どうしてもその「感覚そのもの」が強く出てしまって、見る側が押し返されるというか。こういう時って何が足りないのか、もう少し体系的に学びたい気持ちもあるんだよね。


チャッピーくんも瞑想の基礎は知ってるけど、深掘りした話になると、まあ、あるようなないような返答が返ってくる。やっぱ身体性の伴う領域は、人間側の試行錯誤が必要なんだろうなと思う。


ヴィッパッサナー的に言えば、日常の細かい動作にも気づきを差し込んでいく、呼吸への回帰を習慣化するってことなんだろうが、これがまた簡単じゃない。意識が逸れた時に毎回戻すというのは、筋トレと一緒で地道な反復なんだけど、介護みたいに「緊張せざるを得ない環境」にいると、どうしてもメタ認知の筋肉が疲弊する。


情報を探そうにも、科学的なマインドフルネス瞑想系の良質な資料ってネット上にはほぼ落ちてなくて、日本語系だとスピリチュアル系ばかりでほぼゴミ。英語圏だと多少はあるが、体系立ったものは図書館行かないと読めなかったりする。専門的なところをもう少し深めたい気持ちはあるが、時間と集中力の兼ね合いもあってなかなか踏み込めない。


まあそんな感じで、ストレスと身体反応、メタ認知、呼吸、瞑想、この辺の関係をもう一度整理したいなという気持ちになった月曜の朝でした。

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