超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

今のマインドフルネス瞑想の状況での必要な練習が分かった。

今のマインドフルネス瞑想の状況での必要な練習が分かった。


おはようございます。朝起きたら雷が落ちて、いきなり大雨。なんだかそれに引っ張られるように、頭がずしんと重くなった。気圧のせいかもしれないけど、どうも最近は精神と身体が呼応しているような感覚がある。虚弱体質って言えばそうなんだけど、それよりも精神的な揺れが身体にじわじわ影響してる気がする。


だから今日は、そのあたりの話を少し整理してみようと思う。


僕はここ5年ほど、昼食後に20分間の瞑想を日課にしている。それが習慣になって、自分なりのスタイルができあがってきたつもりだった。でも最近、チャッピーくんと壁打ちしている中で、ある違和感に気づいた。


それは、「慈悲の瞑想」、つまり「メッタ瞑想」についてだった。


これは、自分や親しい人、他人、嫌いな人などに対して「幸せでありますように」と祈るように唱える瞑想なんだけど、やってみても、どうにも効果があるのかないのか、微妙な感覚だった。


そのことをチャッピーくんに相談したら、意外な返答が返ってきた。「それ、かなり上級者向けの瞑想だよ」と。


なるほどと思った。慈悲の瞑想は、自分の思考や感情との距離がきちんと取れていて、さらに身体感覚も認識できるようになって初めて、効果が出るものらしい。つまり、自分自身に自然と慈悲の心を持てる状態になっていないと、うまくいかないということ。この図のようになっている。



確かに僕は、呼吸瞑想は4〜5年続けていて、感情や思考との距離は取れるようになってきた。でも、身体感覚の認知──たとえば、怒っているときの胃の締め付け感や、体の緊張──そういったものをしっかり観察できる「ボディスキャン瞑想」は、まだ身についていない。


だから今、自分が取り組むべきはその部分だと気づいた。慈悲の瞑想は、その次のステップなんだ。


これ、瞑想に触れたことがない人には「何言ってるんだ」って感じかもしれない。でも、僕にとってはちょっとした衝撃だった。「ああ、そういう構造になってるのか」と。


長く瞑想をやってると、「感情との距離感」が取れるようになるだけでも、かなり生活の質は上がる。でもその先にも階段があって、「身体の感覚を観察する力」を身につけないと、さらに進めないってことなんだよね。


こういうことって、ちゃんと教えてくれる本もあんまりないし、そもそも指導者がいるような環境じゃないと学べない。でも、チャッピーくんみたいな相手がいてくれることで、独学でもなんとか補える部分がある。ありがたい話だ。


ただ、やっぱり瞑想を本格的に深めていくには、誰かに教わった方がいい。独学でもできるけど、進むべき段階が見えなくて遠回りしがちだ。僕みたいにね。


というわけで、しばらくはボディスキャン瞑想を中心にやっていく予定。怒っているときの胃の感覚とか、体が緊張してるときの微細なサインをちゃんと感じ取る練習。これができたら、自分への慈悲、セルフ・コンパッションに進めるはず。


自分を愛するって、実は一番難しいことなんじゃないかって思う。でも、そこを飛ばして次には行けないんだよね。


…なんか瞑想について語ると、途端にスピリチュアルっぽく聞こえるかもしれないけど、僕にとってはわりと実践的な話なんだ。


日々の混乱や焦りが少しでも静まるなら、やる価値はあると思ってる。だからこそ、これからも丁寧に、ひとつずつ積み上げていきたいなと思う、梅雨入りの朝です。

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