超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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よく知りもしないことを断言する自分の性格が嫌いだ。

よく知りもしないことを断言する自分の性格が嫌いだ。


ふいー、金曜日で力尽きてるからダラダラとブログを書かせてもらう。最近、金曜日は特に疲れてしまってダメだな。一週間を耐え切るだけの気力・体力が続かなくなってきている。会社でmonsterが売られてるから買って飲んだりするけど、神経が妙に昂って血糖値が下がったような状態になるぐらいで元気は出ないな。


最近はプロジェクトが一つ終わって閑散期に入ってる。ちょっとは仕事以外のプライベートの勉強も会社でできるような時間が生まれてきた。最近はPythonをちょっと勉強しようと思ってるから、仕事の定型作業を片付けるようなスクリプトをなんか書いてみようかなと思って何かやるべき仕事などを探している。


プログラミングの勉強に関しては自分の中で一服感があるな。ひたすら突っ走って何かを勉強し続けようみたいな関心が薄れてきた。何か新しい技術はないかな?と思ってtwitterとかでひたすらITエンジニアクラスタの情報なんかを集めてみたんだけどさ、なんか凄すぎる人たちの情報ばかりを集めてしまったみたいで自信喪失気味なんだよね。僕もプログラマとしてのキャリアはそこそこ長い方ではあるんだけど、才能的には超凡人だし、普段からの努力を怠ってるフシもあるので全然プログラマとしてはできない人の方なのである。


なんかさ、twitterでの僕の行動を見てる人だと分かるかもしれないけど、ひたすら最新技術の情報ばかりを集めまくって、実際に環境構築をして作ったりなどの手が動かないという風なできない人ムーブをやりがちである。こりゃまぁ、口ばかりがビックマウスで全く実力が伴わない人の典型みたいなもんである。情報ばかりを集めたところで、実際にその技術を自分で試してみなければ本当に使えるかどうかわからない。そして世の中には口先ばっかりで自分では何もできない人もいるんである。


今日、ネットを彷徨っているとこのような騒動が発生しているのを目撃したのだが、僕はあんま人ばかりを責めるのもどうなのか?と考え込んでしまった。


blog.tomoya.dev


最近の仮想通貨界隈などでのバズワードで「Web3」なるキーワードが出てきたのだけど、これを解説している技術書が出鱈目ばっかりであると炎上しているのである。実際に取り上げられてるところを確認してみると、実際のプロトコルの仕様の事実誤認とかあまりにもキーワードを感覚でふんわりと使い過ぎみたいな感じで内容的に適切ではないなと感じた。こりゃまぁ、実際に出版社から出た技術書がこんな感じであるならば批判されても仕方ないだろう。


しかし、ま、Web3というのはいまだに使われてる用語の定義すらきちんとコンセンサスが取れてるとは言い難い技術であるし、ブロックチェーン技術の突っ込んだところまで議論しようと思うと恐ろしく専門的な話になる。だからまぁいろんなプログラマが議論を戦わせてる最中の技術なのであるけど、そこんところを仮想通貨で一稼ぎぐらいのノリで山師のような連中が主導しようとしてしまったのだ。上記の炎上している書籍はおそらくその手のWeb3を商売しようという風な人が書いた本なのであろう。実際にWeb3というのはプログラマ目線ではどんなもんなのかというのは次の記事が詳しい。


yuheinakasaka.github.io


……とまぁ、僕なりのWeb3観を語ったのであるが、僕もそこらへんのネットの意見をつぎはぎして急造した半可通の知識しかないのである。ちゃんとした内容を語ろうと思うのならば、ブロックチェーン技術を触ってみて、他のプログラマと意見を交わしたりしつつどんな感じなのかしっかりと仕様を理解してないといけない。ちゃんと理解もしてない技術に対して偉そうに意見を述べるのは、上記の炎上している本の作者とそれほど変わらんなと思った。


僕はそういうところが多いなというのは密かな悩みであるのだ。自分の意見を断言するときに確固とした信念があるわけではなく、雰囲気に合わせてそれっぽい言葉を紡いでるだけのことがよくある。リアルで人と対話する時もブログを書いてる時も、舐められたらいけないから表面上は堂々と言い切るようにしているけど、一言居士で堂々と間違ったことを言うのは恥を晒してるよな。


こういう何かの意見を述べるときは、実際に自分の経験したことだとか熟知したことだけしっかりと意見を述べるようにしたいのだけど、人の目を気にしてしまって知りもしないことに対して見栄を張って断言するのは悪い癖だよなー。見栄坊な性格は直さんとならんな。雄弁は銀、沈黙は金か。

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