人間関係の改善でも習慣の力を使いたい。
今年は秋までしつこく夏が居残ってる、と書いた次の日にいきなり涼しくなるんだもんなぁ。ようやくクーラーを止めて寝ることができるだろうか? ほんと、この夏は電気代だけでありえん額を吹っ飛ばされており、エネルギー代高騰やらインフレというのは家計直撃で腹立たしいものであるなと憤ってる。
ちょっと最近はコミュニティについて色々と考えている。ちょっと前に僕のブログで書いたことであるけど、最近の僕は「なるべく人に会おうキャンペーン」をしてるところなのである。それで、色々とネットのコミュニティに参加してみたりとか、リアルでもジモティーなどのサービスを利用して小説執筆同好会に参加してみたりなど色々とやっている。
小説執筆同好会であるけど、主催者の方がまた来月もやります! と言ってたのに今月は音沙汰なし。この調子だと自然消滅しそうな流れなので、ひとまず一度は主催者に催促のメッセージを送っておく必要があるだろうなーと思う。最近は小説の第一稿も書き上げたし、「百年の孤独」も読了したであるし、話したいネタはいくつか持ってる。
基本的に僕は人付き合いが苦手というか、他人に対して興味を持って関わっていこうというのが苦手である。普通の人は対人関係においては相手にいろんな感情を持って、それでもっと相手を知りたいとか仲良くなりたいと思うらしいが、僕はそこんところの感情についてはさっぱりと分からない。
僕の場合は、相手が持ってる情報に対して関心はあるけど、それに伴う情緒的なやり取りというのは「めんどくさい」と感じてしまう。これは割と後天的に身につけたテクニックであるけど、相手から情報を引き出すために交渉ごとというのをやらないといけないらしくて、それで相手に興味を持ったりとか褒めてあげたりなどする必要があるらしいのだ。
僕は明らかにASDのところがあるというか、相手から明示的に「〇〇してほしい」と言われないと相手の意図を読み取ることが難しい。そこまで極端にアスペルガー症候群のように、言葉の言外の意味を読み取れないとかそんな感じではないけど、どうも、相手の願望をうまく読み取ってそれに合わせて行動してやることができない。
妹や親しい友人からもよく言われることなのだけど、僕は自分の興味関心のあること以外は全く無関心であるらしい。なので、おそらく僕にはプログラマー以外の仕事は無理であり、営業職とかそれ以外の総合職については不可能であると思われる。一つのことをやりつつ、同時にバランスよく他の作業の調子も整えていくというのが苦手であり、何か一つに集中すると一直線! 特定の作業においては優秀な成果を残すことはできるけど、全体的に見ると壊滅的というのがよくある。
最近のネットの情報などを色々とみてても僕は多分、発達障害なんだろうなーと思うんだけど、40代にもなったおっさんが今更医者の診断を受けてもなーみたいな感じ。僕はこんな感じの特徴は持っているけど、別にそれで社会に生きづらさは感じてない。というか、すでに二次障害であろう統合失調症を患っているのであり、そこの治療はある程度寛解まで行ってそれなりに社会復帰もできている。そこからさらに新しい病名を追加することについてはメリットは無いんじゃなかろうか。
むしろ、一つのことをきちんと規則正しいルーチンを守ったりとか、興味のあることに集中できる特性についてはそれで色々と重宝してる。どうやら僕は毎日規則正しく生活したりするのは得意であるらしく、このブログにしてもそうなのだけど、一度これをやると決めたことに関しては石に齧りついても実行する。
僕がやってる英語学習とか瞑想とかの習慣にしてもそうなのだけど、やると決めたら必ず毎日実行する。瞑想についても毎日20分の瞑想について4年ぐらいは続けることができてるし、英語学習もduolingoを今日で連続400日続けている。他にも小説執筆などの習慣についてもそうで、僕の創作のやり方としては毎日30分だけこの作業を進めると決めて、それをコツコツと積み上げて作品を作る。ジムトレについても、風邪で熱がある時以外は毎週ちゃんと月水金に通っている。
生活の中において色々と情報収集を行なって、この習慣を取り入れるとQOLが上がるとわかった習慣については、積極的に取り入れていくのがいいんでは無いかと思う。最近だと、「捨て活」というのにも興味があり、家の中が汚いので毎日少しずつでもものを捨てる習慣を身につけようかなと思っている。
これは僕流のライフハックかなーと思うんであるけど、僕は一度これをやると決めたらやめることができないので、弱点である人間関係においても、具体的にSMARTな目標設定を行い、コツコツと自分の性格改善を行えばいいんじゃないかなと思っている。だからこその「なるべく人と会おうキャンペーン」であり、これでコミュニケーションのやり方の実感を掴めば、僕は向かうところ敵なしではないかと考えているのだ。