超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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結局、創作でもエゴと承認欲求のバランスを取ることだろうな。

結局、創作でもエゴと承認欲求のバランスを取ることだろうな。


今日も朝からやな感じの頭痛が続く。昨日今日と天気が悪い感じであるので、気候病の部類ではないかと思われる。どうも、昔から気圧の変化には弱い感じであり、台風などが来た時も体調を崩す。


それ以外ではなんだろうね。そろそろ乗ってる車が限界だから来月にでも新しい車に買い替えようと思うよ。次はトヨタのAQUAにでもしようかななどと考えている。中古市場であれば60~80万程度である程度は走れそうな中古車が売ってるであるし、それをローンを組んで、なるべく長く使ってみたらまた貯金もできるかなと思う。


特に話題はない感じであるな。小説については第一稿については書き上がったので、あとは読み返して表現が浅い部分を書き足したりとかそんな感じであるかな。今の原稿はひとまず全体の流れをラフに書き上げる目的で、ラフにすばやく書いた詳細プロットなので、全体の文章を均して小説の流れを滑らかにする必要がある。


小説執筆に関しては、ある程度書いてきたから執筆活動に慣れたというのはあるな。自由自在に小説を書けるほど器用ではないけど、ひとまずある程度のクオリティの作品については書けるのではないかな? と思う。ここんところはよく分からない。プロのすごい作品なんかを見てしまうと自己卑下してしまうこともあるけど、ネット小説のアマチュアの中では、自分もある程度は読ませる作品を書くことができてるのではないかと思う。


しかし、この辺りの自分の技術の客観的なレベルを知るというのは、非常に難しいことである。「ダニング・クルーガー効果」という用語もあるけど、ろくに練習もしてない素人の方が自分のスキルにやたらに自信を持ってしまうという心理バイアスもあるんである。


僕は書いた作品についてはネットに公開するようにしてるけど、ネットのレスポンスというのは雀の涙である。たまにブログ友達の方に読んでもらってありがたい感想などをもらったりすることもあるけど、カクヨムやpixivなどの創作SNSに公開してみてもいいねが10付くかどうかぐらいのところであり、そういう数値でみると大したことないB級のアマチュア同人作家である。


ネットの創作SNSで人気を出そうと思うのなら、実際の小説執筆の力量よりも、SNSでの立ち回り方というのが大きな要素になる。できるだけ更新回数を増やして新着に多く載る必要があるし、観客の要望に合わせたキャッチーなテーマを扱わねばならない。最近だと、小説家になろうみたいなところで人気があるような、異世界転生ものだとかザマァ系だとかそういうものを書かねばならんということになる。


正直言って、僕はそういうキャッチーなテーマを狙い書きで小説を書くのに興味がない。僕が小説を書く目的としては、自分の思いついたキャラクターやシュチュエーションを作品としてまとめてしまい、後から自分で読んでニヤニヤする用であり、他人からの評価というのは採算を度外視してやらせてもらっている。人からの評価をもらうために興味のないテーマで無理やり物語を書くというのは、おそらく単なる作業であり、小説執筆していても楽しくないだろう。


じゃー、別に書く作品のクオリティなんぞもどうでもいいやんけーという話にもなりかねないが、そこんところは自分なりの見栄というか、全くの個人的な趣味で書いてる作品にすごい芸術性なんかがあったりしたらかっこよくね? みたいなノリである。


ここんところは僕の読書傾向でもそうなんだけど、難しい本を読むためには前提となる知識が必要になると思っている。これは創作でもそうで、何かしらの自分の内面をさらに深掘りした作品を書こうと思うのであれば、物語構造などの創作理論を研究する必要があり、それに適応した作品を作ることで自分のキャラクターへの理解が深まったりするのである。


要するにまぁ、僕が小説やらイラストを描いたりするのは「自己表現のため」なんだろうな。書いたものが多くの人に絶賛されるような喝采願望はないけれど、そこで描かれてる世界観が自分の内面をきちんと表現できてることにこだわりがあるのである。作品を書くプロセスそれ自体に興味があるのであり、出来上がった作品に対する評価というのは副次的なのである。


しっかしまー、そういう芸術家肌タイプにはありがちであるけど、一人で意味不明で前衛的な作品を作って悦にいってるタイプというのも僕は避けたい。小説にせよ、芸術にせよ、それは他人に何かを伝えるための媒体であり、人に伝わらない作品は無価値と一緒である。


僕はブログでも度々類似の概念を述べてるけど、「エゴと外連味」のバランスをとることは重要である。自分のエゴが含まれてない創作というのは退屈なものであるけど、エゴだけを追求して独りよがりな創作というのはどこにも辿り着かない。創作の醍醐味って、自分の内面のことをテーマにして深層で誰かと繋がることだと思うので、そこんところで人と共有できる話題を組み込むのも必要ではないかと思う。無論、人の顔色ばかりを窺って内面がない作品はつまらないけど、それは現実の人間とも同じである。

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