「理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性」(高橋昌一郎著)を読了した。
以前こういうエントリーを書いたじゃないですか?
そこで紹介していた「理性の限界 不可能性・不確定性・不完全性」(高橋昌一郎著)を実際に購入して読んでみたんですよ。なので、その感想を書こうかと思います。
理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書)
- 作者:高橋 昌一郎
- 発売日: 2008/06/17
- メディア: 新書
まぁ、僕の上記のエントリーでも書いたことなんですけど、人間がどれだけ理性を使って真理を探求しようとしても「理性の限界」とでも呼べる、人間の論理の限界地点みたいのがあるのがいろんな学問で明らかになってるのです。この高橋昌一郎氏の本では、こういう「理性の限界」を次の3つの理論で解説します。
いや、一つ一つ説明していきたいんですけど、全て論理学やら物理学やら数学やらの公式を使った難しい理論ばっかりなんですよ。本書ではそれらの難しい理論をたとえ話などを使って、できるだけわかりやすく解説しているんですけど、僕も読んだその時は理解できたつもりだったんですけど、この理解した内容を他人に伝えるほど理解度が高くなかった・・・。それぞれの理論が概念として難しすぎるんですよ。キーワードをだしてそれっぽく難しい言葉でけむに巻くことはできるけど、本書の内容を易しく他人に伝えるって理解力やら文章力が強くないと無理筋ですわ。
なんで、ネットをふらふらーっと彷徨ってそれぞれの理論の解説ページのリンクを貼っときます。ただ、どっちかというとネットで解説しているページよりもこの高橋昌一郎氏の本のほうが解説が易しい気がします。これを説明できないのは、単に僕の文章力では下手に理屈をこねくり回すよりは賢い人達の解説でも紹介したほうがマシだという気がするからです。
僕はまぁプログラマなんですけど、その見地からこの本で気になった部分を紹介しようかな?と思います。この本ではどんなにコンピューターが進化しようともゲーデルの不完全性定理故に、完全な真理を求めるプログラムを作り上げることの不可能性が解説されてます。
ゲーテルの不完全性定理はものすごくざっくりと解説すると、問の中に自己言及している項目があるとパラドックスに陥ってしまって証明が不可能な問が生まれてしまう。この不完全性定理が発見されたということは、数学という論理の世界は、すべての数学的問題には解を導き出すことができないということです。論理を積み重ねて研究を重ねていけばすべての数学的な問に解決方法を見つけることができるのではないかと研究していたヒルベルトプログラムというのがあったのですけど、ゲーデルの不完全性定理で分かったことは、数学という論理には矛盾を作り出せる余地があり、それ故に数学の世界は完璧じゃないという結果だった。
この結果で分かることは、すべての問題を論理に置き換えてアルゴリズムで解決するチューリングマシンは、ゲーテルの不完全性定理で生み出される論理の限界を超えることができない。ゲーデル本人は「人間精神はいかなる有限機械も上回る」とか「人間精神は、脳の機能に還元できない」と哲学的帰結を導こうとしたらしいのですけど無理があるんじゃないか?と思います。
これから分かることはどれだけAIが進歩して究極クラスにまで技術が進歩したとしても、論理の限界故に真理を導き出せるようなプログラムは作り出せないということなんですよ。銀河ヒッチハイク・ガイドであったような、超ハイスペックのディープソートにに何万年も計算させて「42」の結論にたどり着くことすら不可能だということなんですね。
この本の結論は以下のようにまとめられています。
最後にパスカルの「パンセ」から「理性の最後の一歩は、理性を超える事物が無限にあると認めること」という言葉を引用しておこう。少なくとも我々は、理性の最後の一歩を踏み出したわけだ、その先には再び新たな光明が見えている気もするがね・・・
理性の限界が導き出したのは、万物の根本がランダムだったということらしいです。「神はサイコロを振らない」という言葉がありますけど、どうも違うみたいです。というか、その神自体も自己言及のパラドックスを超えさせるとしたら論理の埒外に置かないといけないわけで、神様自体が存在が難しい。この世界には「真理」とか「完璧な答え」みたいのはありえないということでした。
この本自体は、複数人の対話形式で書かれていて読みやすいでは有るんですよ。ただ、扱われている問題が難しすぎてキーワードは分かっても内容を完全に理解するには何十冊と本を読みまくらないといけなくなると思われます。まぁ、深いところに突っ込もうとするのでなければ論理学の読み物として読むことができました。なんでカント主義者があんなに不憫なのかは最後まで理由が分かんなかったんですけどね?ひょっとして作者がカント哲学嫌いなんだろうか?