超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

ネガティブループを改善するには自分を変えるしかない。

ネガティブループを改善するには自分を変えるしかない。


なーんか、色々と病気関係の記事を読んでしまいモヤモヤ。どうも、最近特に気をつけてることなんだけど、あんまり自分のアイデンティティ障がい者であることを入れないでおこうというのを気をつけてるのである。事実として障がい者ではあるが、そこにアイデンティティを持ちすぎてしまうと、なんとなく行動をしない言い訳に使ってしまう。


あんま率直すぎる言い方も問題か。や、なんだろう、色々と僕も悩んでるのであるが、自分の行動パターンへの違和感というのをいつまでも拭いきれないのである。過剰な生活リズムや特定のことに対するこだわりとか他人への無関心さというのは、ASDじゃないかという疑念を拭いきれないでいるのである。


本当にそれが日常生活でも問題であれば、ちゃんと病院で受診をして診断して貰えばいいのだけど、僕はすでに統合失調症を患って診断されているのに、これ以上病名を増やすのも嫌なのである。それに、生活の中で生きづらさとか感じるケースというのはそれほどないのに、発達障害の診察を受けるのもなーみたいな感じ。


どっちかというと、僕の場合は持ってる特性が良い方に働いてるパターンというか、IT技術へのこだわりが強かったからプログラマをやれているし、規則正しい生活パターンが好きだから安定した暮らしをやることができている。他人に興味が持てないから組織で孤立しがちという問題点はあるけど、僕は一人でいることをそんなに苦に感じないというか、受動的ではあるけど表面上の受け答えのソーシャルスキルは身についてるから日常生活は問題ない。


そもそも発達障害というのはスペクトラムであるので、健常者でも発達障害的な特性を持ってる人もいるし、程度の差はあれ誰でも好きなものに対するこだわりの強さとか衝動性みたいなものは濃淡あるけど存在している。それが社会生活においても問題がある場合に、初めて病院で診察を受けて診断してもらうのであり、全ての人に対して病気かそうじゃないかの判断をするものでもない。


なので、このことについては、事実として自分が発達障害かどうかというのはなんであれ、僕自身がちゃんと生活をできるスキルを伸ばしていって幸福な人生を送れるのなら良いと理解した。それに、僕はこんな感じで毎日ブログを毎日更新したりとか規則正しい生活をやれる自分というのは嫌いではない。他人に関心がなくてコミュニケーションが続かないことに関しては問題だが、それは昨日の記事でも書いたことであるが、意図的にコミュニケーションを行う頻度を増やして徐々に改善していこうと思っている。


最近特に気をつけてることは、自分がやれることを褒めたりとか物事の良い側面を積極的に見つけようということである。ちょっと、僕は人生があまりにもクソゲーで、今まで嫌なことが多すぎたことがトラウマになっており、考え方が卑屈であったりとか僕がやることは必ず失敗することを前提に行動してるなどの問題点がある。


これが原因で過去は性格がねじくれた状態で、社会も自分も信用してない世を拗ねた考え方しかできなかったのであるが、「いつまでもこんなもんではいかん!」と一念発起した。や、実際のところは、これ以上露悪趣味なねじくれた考えで人生を送ってると、本当に何もかも失ったままで一人で孤独死とかそういうビジョンが現実的になってきたので、「こらいかん」ということで泥縄で性格改善を始めたのである。


まずい出来事が多いから人間はひねくれた性格になるのか、それともひねくれた性格だから世の中を悲観的に見て物事がうまくいかないのか? その因果関係というのは環境や遺伝も絡んで輻輳的で一概に言えるものでもない。鶏が先か卵が先なのかは分からないけど、具体的に性格改善に取り組んでみてわかったことは、この因果関係を改善していく場合には、先に自分の内面にアプローチする方法しかないということである。


幸せになるためにことさらにSNSなどでキラキラした生活をPRしたりとか、FIREだとかいって食うものも食わずに貯蓄や投資に励む人たちがいる。あれは自分の外的な環境から幸せを得るためにやろうとしてることであろうけど、結局うまくいかないことである。自分と人とを比較して幸せになろうとしても、必ず上には上がいるもんだ。SNSだとフォロワー数、投資でも貯蓄額。それらの数字を他人と比較して自分は大したことないと落ち込みがちである。


世の中でよく言われている物語で、努力して頑張れば幸せになれると信じられてるけど、これもちょっと違う。成功者が信じられないほどの努力をして成功したサクセスストーリーなどもあったりするけど、それらの成功者たちも内面の方ではそれぞれに悩みを抱えているのであり、一概に努力して成功したら幸せとも言えないのである。


そもそも、人が努力して変化を起こすことができるというのは、自分のことのみである。頑張っていい会社に転職してもクビにされるかもしれないし、金を頑張って稼いだとしても投資詐欺などで騙されることもあるかもしれない。美女と結婚したとしても浮気されるかもしれない。自分以外の要素というのは運により条件が色々と変わる。


筋トレなんかも努力したら筋肉がついたりして自信がつくなどと言われたりするけど、自分の内面についても同様だ。メンタルについても正しい方法で努力をしたら、どんどんレジリエンスがついて鍛えられる。僕はそう思ってコツコツと認知行動療法を練習したり、マインドフルネス瞑想を習慣化してる。


筋肉にしてもメンタルにしても、鍛えようと思ってもちょっとずつしか強くなっていかない。それは自己啓発本なんかではこれをやるだけですぐさま効いて一発で楽になったり幸せになる方法なんかを強調されるけど、あれは詐欺まがいだから信用しない方がいい。


僕はこういう事実を踏まえて考えた時に、村上春樹さんのエッセイのどこかで紹介されてた金言の「筋肉は落ちやすいけど脂肪は付きやすい」という言葉を思い出す。自分を鍛える方法というのは、一歩ずつ着実に地味な努力を積み重ねる方法しかない。人間は逆境に陥ると一発逆転を狙う生き物ではあるが、そういうことで得られた幸せというのは脆いので着実に歩き続けましょう。

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