超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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【ポッドキャスト更新】僕の生活に対するこだわりとは?

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ポッドキャスト更新】僕の生活に対するこだわりとは?


さて、今日は日曜日なのでポッドキャストを収録したので貼り付けておこう。


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夜明けの雑文書き

夜明けの雑文書き

  • ゆきにー
  • 個人ジャーナル
  • ¥0


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さて、じゃあポッドキャストの原稿を貼り付けておきますかね。


《ココカラ》
はい、というわけでラジオ企画「夜明けの雑文書き」始めますよー。どうもこんにちはこんばんわ、ゆきにーです。


5月も終盤戦ですね。そろそろ6月が見えてくる頃合いです。もう半年ですよ。この調子で月日が過ぎていくのなら1年なんてあっという間ですな。


「少年老い易く学成り難し」とは言いますけど、本当に勉強はやる気はしないのに歳ばっか取っていく。読むべき本は積み上がっていくし、それにも関わらず休日は無駄に過ごすという状態ですね。


最近、Dainさんという人の「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」という本を読了したのですね。この本はすごい本でした。


読書というのは、その一冊の本を読む前と読む後では確実に変わってしまっており、どういう本を読んでいくのかでどういう人生を送っていくのかが変わっていく。人生の時間は有限であるし、読める本も限られている。


だからまぁ、良い本に出会える人生というのも恵まれた人生であると言えるのですよ。ここで取り上げられているスゴ本というのは本当に人生の価値観を揺さぶり、今後の人生を変えてしまうような本を指すのです。


どういう物語を摂取するかで人生の見え方を変えてしまう。そして、生き方も変えてしまう。読書というのは猛毒の毒書でもあるんですよ。


マザーテレサの言葉で次のような言葉がありました。


思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。


読む本というのは覿面に思考に影響を与えます。それが良書であれ悪書であれ考えかたに強い力で作用します。なのでまぁ、良い本を選ぶ方法というのは、人生を改善する方法と直結します。


僕は、大学に所属するのではなく個人で研究し続ける在野研究している人たちに憧れがあるのですね。このスゴ本を書いたDainさんとか、アイディア大全や問題解決大全を書いている読書猿さんとか、個人で凄まじい知識の収集を行ってそれで自分よりは深い人生の理解をされている人たちがいるんですよ。僕は何年掛かるか分からないけど、自分なりに色んな本を読んだりして研究して自分なりの真理を見つける研究をやってみたいというのがあるんですね。


確か、『在野研究ビキナーズ』って本があったんですけど、必ずしもアカデミズムによらず研究を続ける方法というのはあるんです。これは生活を維持するための仕事をやりつつ、何かしらのジャンルで研究している人たちの人生をまとめた本らしいです。僕もまだ読んでないので、この本も読んでみたいなーと思うのです。


僕の方向性としては、さまざまなジャンルを研究しつつ、ブログを書いて、小説を書いて、イラストを描いて、表現者として生きることなのだと思いますけどね。僕はひたすら表現者として生きて、表現者として死にたいと思っている。


さて、今週はマシュマロを一つ貰っているのでそちらについて回答して参りましょうか。


マシュマロを読み上げます。


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これだけは譲れない生活のこだわりですかーw


なんか、僕はこだわりの塊かと思ってたんですけど、嫁さんと一緒に暮らし始めると、だらしなくて生活がゆるゆるって事がよくわかりましたね。大体、家事とか生活習慣とかそれほどガッチガッチに縛られている訳じゃなくてダラダラ過ごしている事が多いです。


生活へのこだわりというと、まさしくブログを毎日更新で2000字を書くというのがこだわりみたいなものですね。


ちょっと前にも書きましたけど、僕の人生というのはブログを毎日更新することで大きく良い方向に変化してしまったのです。精神疾患で寝るのも起きるのもズルズルの状態だったのが、ブログを毎日更新するという習慣によってやるべき事がはっきりして生活にメリハリが生まれた、という事はあります。


やはり僕の生活のこだわりというのは、一日で起きたことは一日で総決算してしまう考え方などですかね。


一日の終わりにブログに考えていることを綴ることはメンタルヘルスに大きく貢献していると思うのですよ。考えかたをはっきりさせることで、嫌なこととか引きずり辛くなったかと思います。


文章を書くことは非常に大好きなことなんです。ただ頭のなかでモヤモヤ漂っている感覚を言葉で固定することで、ようやくその感情がなんだったのかはっきりする事が多いです。


別に一日1度に2000字とルールを決める必要も無いかとおもいますけど、おそらく僕はこんな風に生活を区切って物を書く生活をしていないと、習慣が続かなかったと思います。


こうやって、決まった時間に決まった場所で毎日ものを書き続ける生活習慣というのは作家のレイモンド・チャンドラーも同じ様な事をやってたのですけど、ものを書く生活をするためには決まった時間に決まった場所で決まった分量と決めて書くのはやりやすいですね。


また、一つなにか習慣が決まると、他の生活習慣をやろうと思ったときに自信が生まれて次に繋げやすくなります。僕の場合、ブログを書く習慣があったことでランニングとか筋トレとかの運動習慣につながりました。


まぁ頭の方で語ったことでもありますけど、僕の人生の目標というのは表現者として生きることなので、こうやって習慣により欲求を飼い慣らすことはその目標に向かって歩き続ける事に繋がります。割合、僕がブログを書いているということはそういった人生全体の計画ともつながりがあるのですよ。


それでは締めますか。


この番組では皆さんのお便りによって運営されています。何かしらの僕に聞きたい、くだらないことでもいいんで、なんか質問をマシュマロにください。マシュマロの


リンクは紹介文の方に張ってあります。貰った質問に関しては日曜日にラジオトークで番組を作って回答します。みなさんのお便りおまちしています。


という訳でバイバイ!
《ココマデ》


ブログのコメントの方で猫好きさんからも質問を頂いていたかと思うんですけど、今回はマシュマロの方に先に質問が届いていたのでそちらの方を読み上げさせていただきました。すみませんm(_ _)m 来週のポッドキャストでは猫好きさんのコメントの質問に回答しようと思うのでよろしくおねがいします。


さて、生活でこれだけは譲れないという習慣との事ですが、これは間違いなく毎日のブログ2000字を綴る習慣ですね。これは3年以上雨が降ろうが槍が降ろうが毎日更新を継続して続けてきた習慣なので絶対にやめられないです。


ポッドキャストの中の方でも喋ってることですけど、僕が統合失調症から立ち直った理由って、おそらくこうして毎日ブログを更新してきたことが生活リズムの改善につながって良い循環をもたらして病気から再起できたんだと思います。僕はこうやってフルタイムで働いていたり毎日ブログを書いてたりとかしますけど、統失の症状ってそこそこ重くて一時期は閉鎖病棟で入院していた程度なんですね。


陰性症状と認知機能障害で全く頭が回らない状態の中で、なんとか自分自身でやれる事をやらないといけないと思い立ってブログの毎日更新を始めた。なんとか人が読めるような内容の文章を書き続けようと思ってそれからひたすら毎日書き続けた。そしたら思考能力などが戻ってきて、なんとか障がい者雇用でプログラマ契約社員に潜り込むことができた。そして、ブログつながりで今の嫁さんと付き合い始めて結婚まで出来たんですよ。


このブログで綴られている僕の歴史ってのは、おそらく人生の中で一番最悪だった時期から立ち直って復帰していくまでの出来事が書かれているんです。劇的な改善ではなかったけど、毎日ちゃんと生活リズムを整えて病気の回復につながったのは毎日ブログを書いていたおかげなんです。


そしてまぁ、僕はブログを書くことは死ぬまで続けたいなと思っているんです。僕は以前この様なエントリーを書いた。


www.ituki-yu2.net

僕が表現する理由は、自分の内面を表現してわずかでもいいから誰かに理解してもらうことだ。別に万人受けする必要は全然感じていないが、偶然でもたどり着いた誰か一人にでも深く印象を刻み込む文章を書くことが目的だ。なので、ひたすら自分の内面に忠実に、なおかつ読んだ人に刺さる様に一般的なスタイルも無視せずに独りよがりにならない文章が目標なのだ。


僕がブログで書こうとしていることは、生活の中で考えたことを通じて僕の内面を読んでもらった人に理解してもらおうという意図が強い。僕が毎日書き続ける事は、この世界に対してPingを打ち続ける行為みたいなものだ。このブログを読んでくれた誰かに少しでも僕の考えていた事を共感してもらえればそれだけで報われる気がするのである。


ただまぁ、こういう警句もありましてね。

表現とは、誰かに何かを伝えるためにあります。
つまり、どんなに伝えたい事があっても誰も読まない記事は表現ではありません
ですがどんなに多くの人に読まれても、そこに伝えたい事が無ければ表現ではありません

ブラックジャックによろしく 13巻 38ページ


表現というのは誰かに伝えるためのもので、ひとりよがりで自分しか理解できないような文章は表現とは呼べないのですね。なので、誰かに自分の感覚を伝えるためには文章は丁寧に書くべきだし、なるべくならば表現方法の型も勉強していたほうがいい。


僕はこういう表現の勉強がおろそかになってないかな?と危惧しているんですよ。伝えたいならば表現の手法も学ばないといけないし、読んで面白い文章は書き続けないといけない。


人生は生きるには長いけど、死ぬには早い。

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