超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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書くことで何がしたいんだろうね。この人。

書くことで何がしたいんだろうね。この人。


今日はカウンセリングに行ってきて、その後図書館に行ってニュースレターを書いて今に至る。僕はものを書くのは好きではあるが、1日に2本も3本も記事を書きまくるというのは流石にしんどいものである。


カウンセリングに関してはまぁ、人生相談であるね。どういうことを話してるのかというのをブログで語るつもりはないが、どうも僕の人生というのは極端なハードモードであり、放っておくと精神的に死にそうな気分になる事柄が無数にあるのである。そのことについてはブログでは書かない。


ブログはね、まぁ、僕がブログを書いたりとかニュースレターを書いたりするという習慣はストレス解消法みたいな思惑でやってることであるよ。こうやって思いついたことをダラダラと長文にして書きまくっていると、思考が整理されて次に何をやろうかという目的がはっきりしてくる効果がある。また単純に思いつきを書いて誰かに読んでもらうことでストレス発散の効果もあり、1日のうちに記事を一つは書いておかないと安心して寝れないのである。


ニュースレターについてはちょっとブログでは書けないようなことを書いてみようという思惑で書いている。ブログでも十分にプライベートなことを書いてはいるものの、やっぱりここで書いたことはSNSなどに流されて拡散される恐れもあるので、そういう大人数には読まれたくないようなことなどはニュースレターで書いている。


最近ははてなブログにも有料記事が書ける機能がついたので、ここだけの秘密の話などは課金記事にして金払った人しか読めなくするというのも手ではあるんだけどね。僕がニュースレターで使ってるSubstackにしても、有料課金版にしないとアーカイブは誰でも読めるので完璧ではないのだけど、なんか自分が書いたものに対して課金するというのがなんか好かないのである。


この辺りの気持ちというのが自分の感情ではあるけどちゃんと言語化されてない。一応、僕がブログを書いたりするのはそれなりに時間やリソースを掛けてやってることである。また、僕はいずれは独立起業をして自分の能力でビジネスをやりたいという気持ちも持っているので、コンテンツを有料で販売するようなビジネスについてもアリではあるなと考えてはいる。


この辺りの迷いというのは結構古くからあって、昔はnoteでちょっと記事を書いてた時期があるけど、これは自分はものを書いてその文章を売ったりすることができるのだろうかという挑戦の意味もあった。やってみた経験としては、僕でも一応は何かお役立ち系の文章を書くことはできるし、やりようによってはいくらか小銭稼ぎもできるだろうと分かった。


しかしまぁ、なんか自分の書いた文章を売るというのが気が進まないのである。このブログではGoogleアドセンスなどを設置していたりと広告収入は得られるような仕組みにしてあるが、そもそもブログのアクセス数自体がそれほどでもないので大して稼げない。昔は月間PVが2~3万ほどあったからその頃ははてなブログ代とかをペイするぐらいの稼ぎはあったけど、最近は赤字でブログを書いてるね。


実際、このブログで僕が書いてる文章というのは本当に自分の思いつきばかりであり、これで稼げる商品だとも思わない。よく「好きなことをやって自由に生きる」的なことを述べている意識高い系があるけど、僕が重要なことを教えてやろう。


向こうからくる儲け話はすべからくゴミか詐欺である。儲け話というのはそもそも商売敵が増えないように企業秘密として隠しておくものであるし、射倖心が強い愚か者ほど金離れがいいので「これをすれば楽に儲かりますよー」という投資話に金を出させるのは詐欺師の常套手段である。


他人を揶揄するのはどうでもいいのであるが、僕自身、タダ働きでブログを書き続けて何をしたいのかという目的がさっぱりわからない。時間もリソースも有限であるのに、単なる趣味の行動で1日2000字も書きまくるという行動が合理的かと言われるとそこまで利益もないだろう。僕は結局のところなんのために書いてるのだろうか。


目的がなきゃ書いてはいけないというのもまた資本主義に毒されすぎな気もするが、こうやってリソースを費やしたコンテンツに対して何かしらの付加価値は欲しいよねとは微妙に思うのである。多くの人に絶賛される必要はないけども、誰にも読まれないような文章であればここまで頑張って書き続ける必要もないよなと思う。それこそローカルの日記にでも書いていれば良いのであり、ブログのような場所で他人の目に晒す理由もそんなにないだろう。


じゃー、金がもらえないのならお前は書かないのか? と問われると、僕はグダグダと文句を言いつつも結局何か書いてそうである。結局のところ僕は何か絵や文章を書くことで自分の内面を表現するのが好きであり、そういう表現者としてのあり方がこそが自分の生き方であるというのがアイデンティティなところがある。


どうも僕は貧乏しつつも自分の信念に殉じるような生き方というのが好きらしい。「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」という徳川家康の遺訓があるが、その先に何があるかというと「何もない」というのが僕の今まで人生を生きた感想である。しかしまぁ、理念に殉じるというのはやってる時の満足感というのが幸福につながるもんであるし、無駄なことでもやってみることで得られる質感というのはあるもんである。

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