「ブロガー」に代わる名称が必要だ。
最近はちょっとだけ数字を気にしながら書くようになった。
ブログをこうやって毎日書いているけど、僕は自分の事をブロガーと呼ばれるのが嫌いである。なぜならば、ちょっと「ブロガー」という単語でググって貰えば分かると思うけど、ブロガーという言葉は「ブログを使ってカネカネしたことを書いて稼いでる人」という意味を指すらしいからである。
これは前々から何度も書いていることで、自分はそういう「ブロガー」という名称で呼ばれるのが嫌いで「雑文書き」という名乗りを使っている。しかしまぁ、あんまり嫌儲な事を書いてもどうだろうね?とは思うけどね。昨日も書いているけど、自分がなにかアクセスアップさせることに興味が湧いた時に、そういう相対する事ばかり書いてあると自分自身の首を締めかねない事にならないか?というのは気になる所である。僕は言行不一致を人生の旨にしてはいるけども、あんまりそういう事を堂々と言って平然としてられるほど面の皮が厚い人間という訳でもない。
最近は、ブログを書く時に何を書くべきか?と書きながら考えて執筆しているのだけど、なんかお役立ちの記事を書かないといけない気になってしまって、やっぱ数字に毒されてると感じてしまうのだ。やっぱり、アクセス数とか見えているとそれを気にしないで書くのは難しい事であるよ。僕も何度も数字に振り回されながら書くのはアホくせえと書いているのに、自分自身でGoogleアナリティクスを毎日確認するようにすると、やっぱり数字を良くするためにすけべ心を出した文章を書こうとしてしまうのである。
あ、Googleアナリティクスを毎日確認しているのは単なるマイブームです。一応、そういうアクセス集計システムを組み込んであるのに何も使わないのはもったいないかなー?と思って毎日記事ごとのPV数とか直帰率を確認してみている。どうやらこれは前日書いた記事の出来不出来に連動しているぞと思ってしまって、数字を良くするために何か工夫しなければと頑張ってしまうのである。結果的にこれで良い記事が書けるようになれば良いのであるが、自他にとって良い記事とは何か?というのが分かってないのに数字ばかり良くてもなーとは気になる所だ。
数字の事ばかり気にして、数字が良くないからブログを辞めるとかほざくタイプが自分の一番嫌いなタイプのブロガーである。手段と目的を取り間違えてるとしか思えないからだ。ブログを書くのは書いている自分が気持ちよくなるためであり、読まれようが読まれまいが自分が楽しければ無問題なのである。とはいえ、情報発信の一番面白いと思う所は、自分の書いた文章で色んな人の考えを変えることが出来る影響力が増えていくことであり、そのためには数字も気にしないとならんのでろう。
それにしたって「ブロガー」という名称は嫌である。
なんか、ちょっと前にこの様な記事があった。
この中では純粋に数字も気にせずブログを書いている人を「ピュアブロガー」と称している。こりゃ、僕が「ポエムブロガー」と呼んでたり、嫁さんが「ブロゴナニスト」と呼んでいるのと同じ様な存在であろう。
冒頭でも書いたとおり、近年ではブログを書くことは金を稼ぐための行為らしいのであり、そうやって文章を書いて気持ちよくなるためにブログを書いているのは少数派らしいのだ。
しかし、少数派とはいうけど、はてなブログ界隈を見ているとこういう「ピュアブロガー」というのはまだまだ沢山生き残っているようで、ブロガーといえば金を稼ぐために書く人という印象で一括にされるのは腹立たしい事だ。僕が好んで読むのは、こういう文章で自己表現しないと死んでしまいそうなパッションでドライブしてブログを書いている人である。ブログで表現するという事はそのように文章で自己表現を目指すもの、という印象がある。
やっぱさー、Googleの検索結果とかでも「ブロガー」という意味がそういうカネカネした商業主義の連中をさすということならば、金によらずブログを書く人たちを定義する言葉がちゃんとあっても良いと思うんだ。僕は「ポエムブロガー」という言葉を提唱しているけど、自分程度の影響力じゃ流行らせる事はできないし、どっかの影響力がある人が決めてくんねーかなと他力本願寺で考えてしまうんですよね。
まとめ
踊る大捜査線の和久さんが「正しいことをやりたければ偉くなれ」と言ってるけど、そういう金によらずブログを書く人たちをもう一回ブロガーの主流にするためにも影響力は伸さんとならんのかねー?とも思う。書くことが好きでブログを書く人たちを増やすための社会活動を展開することが、これからの僕のブログのステージであるかね? 偉くなりたいという考えはあんまりないけど、僕は書いて面白いのも読んで面白いのも、楽しいという気持ちでドライブして書かれている文章であるし、そういうブログ文化をもう一度取り戻すために活動しても良いかも。