超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


SPONSORED LINK

東大での無差別襲撃事件を受けて、現代の悪しき物語を考える。

f:id:yuki_2021:20220115232020p:plain

東大での無差別襲撃事件を受けて、現代の悪しき物語を考える。


今日は大学入試共通テストの日だったね。僕のブログの読者に受験している人とか居るんだろうか? まぁ居るんであればご苦労さまだよね。


僕の年代のときの大学入試はセンター試験だったな。一応、僕もセンター入試経由で大学は入学したのでこの試験の苦しさみたいなものは分かる。しかしまぁここを乗り越えれば後々結果はついてくるはずなので、コロナに気をつけつつ頑張りまっしょい。


ニュースを見ていると次のようなニュースが飛び込んできた。


www.nikkei.com

大学入学共通テストが始まった15日朝、試験会場の東京大前で受験生ら3人が刺された。警視庁は名古屋市の私立高2年の少年(17)を殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。少年は「勉強がうまくいかず、事件を起こして死のうと思った」と供述しており、無差別襲撃を図った可能性がある。専門家は不遇感や孤立が凶行につながらないよう、支援や教育の体制整備が重要と指摘している。


なーんか、最近、こういう無差別テロ系の犯罪って増えたね。いや、昔からあったのかもしれないが、ニュースになるぐらい目立つ事件が体感的に増えている気がする。


僕が認識しているのは、京アニ放火事件の青葉容疑者からの流れだけど、最近も東京の電車の中で刃物を振り回して放火をするような事件もあったでしょ。ここ最近だと、住所不定の男が爆弾を持っていると焼肉屋を脅すような事件もあった。精神科クリニックで放火して沢山の人が亡くなった事件もあった。


ガソリンで放火をして暴れるような事件というのは、まちがいなく京アニ放火事件の模倣犯でしょうね。なんかサラダ油を撒き散らして放火しようとした男もいたよね。マスコミがあまりにも細かく無差別テロのやり方を報道しすぎたかな。ガソリンは今ではガソリンスタンドでも車なしでは買えなくなってるから、行政でハードルは上げようとしているけど、それでも模倣犯の出現を止めることができない。


なんかさ、今回取り上げた東大で暴れた少年にせよ、これまでの無差別テロの犯人たちにせよ、それぞれとても許しがたい犯罪をしているのだけど、それを僕が裁こうとは思わんのよ。ネット上ではこういう犯罪があったりしたら嬉々としてネット上で私刑をしようとする人たちもいるのだけど、日本は法治国家であることだし、こういう犯罪者を裁くのは警察機関や司法機関がやる仕事だと思うのよ。僕らのような一市民ができることというのは、ニュースなどから得られた情報を元にして考えて、何故このような事件が起きているのか各人でよく考えることぐらいだと思うのだ。


こういう重大な事件が頻発している事に対して、社会から原因を探し出したりするのは重要な仕事だ。これらの事件で社会に原因と結果を求めることは、それほど難しいことでもないと思うのよ。例えば、社会の格差が広がったことで中産階級が無くなってしまったことで、色んな人が貧困状態に落ち込んで社会的成功をすることが難しくなっている。その結果、人生がうまく行かなくなって社会に恨みを募らせて、復讐で凶行に及ぶ、みたいなストーリは僕でもすぐさま思いつく。それぐらい社会の貧富の差というのは広がっているし、世間の流れなどを聞いていて実感することができる。


しかし、人生がうまく行ってない人たちがみんな無差別テロをするとは限らない。貧しい人たちがみんなこういう凶悪犯罪をするというのなら、日本はすでに国家転覆しているはずだ。これも日本人の特性なのかどうなのか分からないけど、ちょっとぐらい生活が苦しいと言っても社会保障にすら頼らず頑張ってしまおうという人たちは沢山居る。こっちもこっちで問題なのだけど、僕が言いたいことはそういう事じゃなくて、そういう自己を押さえて社会に過剰適応してしまう特性をもった人々が、なぜ今になってこのような自爆テロみたいな事件を起こすようになってしまったのだろうか?


僕はその理由を考えているのだけど、日本という社会で共有される物語に何か変化が起きてるんだろうなと思う。僕がこういうテロを起こす物語として理解しているのは、オウム真理教保有してた物語なのだけど、これに関しては村上春樹が「アンダーグラウンド」というノンフィクションの中で分析している。


www.ituki-yu2.net


現代の社会の中で共有されている物語は、このような無差別テロを起こす要素を内包しているのである。我々一人一人が出来ることといえば、そのような悪しき物語に囚われないようにすることと、身近にいる人達がそんな罠に嵌ってないか気を配ることだ。犯罪のような凶行に及ぶ人間と言うのは、悩みすぎて自分の中にはまり込んで、視野が狭くなって周りを見ることができなくなっている。身近な人々でイッパイイッパイになっている人を見かけたら、話を聞いてやるとか声を掛けるとかちょっとしたコミュニケーションの輪を広げていくことで、こういう残酷な犯罪のきっかけも減らすことが出来るかもしれない。


別に犯罪をさせないためにそういう行動だけをやれということじゃなくてさ、昔と比べて人々の間に濃密なコミュニケーションが無くなってしまったから、行き場をなくした人たちは凶行に及ぶしか無いというのが僕の分析なのですね。せめて、僕が出来ることといえば、困っている人がいれば声をかけようと呼びかけるぐらいだ。現代に流れている悪しき物語の分析は、これからも続けていこうと思う。

プライバシーポリシー免責事項