超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

創作理論は知りすぎると手が動かなくなるけど、ある程度必要。

創作理論は知りすぎると手が動かなくなるけど、ある程度必要。


昨日の振り返りをしておこうかなと思う。今日は月曜日の朝。だからこそ、少し落ち着いて、昨日やっていたことを書き留めておきたい。


まず、朝は買い物へ出かけ、その後は午後いっぱいかけて小説の直しに集中していた。電撃大賞の締切が4月10日なので、それまでにできる限りブラッシュアップを重ねて、完成度を高めていきたいと思っている。すでに規定枚数ギリギリまで書いてあるので、これ以上構成を大きく変えるとオーバーしてしまう。だから、今やるべきことは文章の無駄を削ぎ落として、読みやすく、スムーズに通るような文体に仕上げていくこと。


今回は珍しく、「賞を取るつもり」で書いているので、自分の中でもけっこう本気度は高い。もちろん、現実はそんなに甘くないとは思っているけど、それでも「もしかしたら」という期待は抱いてしまう。応募するからには、そんな夢を見るのが人間らしい。


ちなみに、電撃大賞カクヨム経由でも応募できる。カクヨム上にはすでにエントリーされている作品も並んでいて、昨日はふと、それらを読んでみようかなーと思った。でも、今の自分の精神状態ではやめておいた方がいいなとすぐに判断した。他人の作品を読んでしまうと、文体が引っ張られたり、無意識に方向性がブレたり、最悪の場合はパクリになってしまう恐れもある。読むんだったら実際に自分の作品を応募で送信したあとだろう。


アスリートが大会に向けてメンタルとフィジカルを整えるように、創作においても、自分の作品を最高の状態に持っていくためには、外からの影響を遮断する必要があると感じている。冗談のつもりで応募しようとしていたのに、思った以上に本気になっている自分がいてウケピである。


実際、文章理論の本を引っ張り出してきて、冒頭にフックを効かせるために構造を変えたりもしている。読者の掴みを意識した見直しだ。文章理論は知っていて損はないけど、知りすぎると手が止まる危険もある。理論をこねくり回すだけで何も書けなくなる人、いわば「モンマルトルの絵描き」みたいな存在も少なくない。


僕は構造主義での書き方については、大塚英志の「物語の体操」で学んだ。こちらの本については、フレームワークに従って小説を書くことで、プロの作家でなくてもそれなりに深い話を書けるようになるという本だ。



自分としては、理論はあくまで「型」だと思っている。型を知れば、深みのある作品は書けるようになるかもしれない。でも、理論だけを学んで実践しなければ意味がないし、逆にそれが足かせになってしまうこともある。重要なのは、その型を自分の中に染み込ませて、自然に使えるようにすること。


この考え方は、スポーツや絵、他の芸事にも共通すると思っている。為末大の「熟達論」にも似たような話があって、最初は自由に遊ぶことが大事だけど、やがて型の稽古が必要になり、型が体に染み込んだ後にようやく無心で自在に表現できるようになるというプロセスが語られている。



創作においても、最初から型にはまりすぎると、書く楽しさを失ってしまう。僕はあくまで「エンジョイ勢」なので、楽しめなければ意味がないと思っている。型を使って自分の想像を超える物語が書けたら、それは楽しい。でも、最初から型に縛られて苦行のような創作になるのは真っ平御免である。


というわけで、4月10日の締切まであと少し。今週末にはあらすじを整えて、応募してしまおうと思っている。最近は頭の中がそればかりで、日々のメモも小説の話ばかりになってしまっているけど、しばらくはこういうエントリーが続くかもしれません。

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