超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。

僕は創作に対してはこれぐらいのスタンスです。

僕は創作に対してはこれぐらいのスタンスです。


日曜の朝、6時に目が覚めて、コーヒーを淹れて、家でのんびりしている。電撃大賞に投稿しようと思って、原稿の最終チェックなんかをしている。


勝算なんてものは正直わからないし、期待もしていない。願望としては「受賞してプロになれたらいいな」と思ってはいるけど、まあ、それはそれ。ちょっとでもいいとこまで行けたら嬉しいけど、まあないだろうな、くらいの温度感。自分の人生に対しても、絶望しているわけじゃないけど、あまり期待していない。何かがうまくいけばいいな、くらいの願望はあるけど、そこに依存したり、固執するような強い気持ちはない。


とはいえ、文学賞に出すという行為自体が、次のステップへの指針になるかもしれない。そう思って動いている。ちょっと冷めたスタンスに見えるかもしれないけど、まあ、これまでの人生で「めっちゃ恵まれてた!」みたいな実感がないから、自然とこういう態度になるのかもしれない。


タスクをひとつ終えた感覚があって、次のタスクに進もうかなと思ってる。午前中は暇なので、こうやってコーヒーを飲みながらブログを書いている。午後からは美容室に行く予定。その後は未定だけど、自宅のPCにObsidianとCursorを入れて、知的生産のメモ環境を整えようかと考えている。


創作の方は、「ナナシノユウレイ」の後日談もそろそろ書きたいと思っていて、それを形にして本にする準備も進めるつもりだ。今回、電撃大賞に出してみようと思ったことで、自分の中で創作に対するスタンスが少し変わってきた気がする。


元々、自分は創作を楽しむタイプで、「プロになりたい!」とか「新人賞狙う!」みたいな気持ちはまったくない。でも、いざ応募してみようと決めて、原稿をブラッシュアップしてみると、それはそれで面白かった。プロ志向じゃないけど、創作ってやっぱり楽しい。


Kindleで本を出したこともあるけど、あれってやっぱり「それなりに」しか読まれない。多くの人に届けたければ、出版社などの商業ルートに乗せる必要があるんだなという感触もあった。でも、自分は「多くの人に読まれたい!」という強い欲望がそもそもあんまりない。共感して読んでくれる人が少しでもいれば、それでいいかなと思っている。


影響力があれば嬉しい、って感覚もわかるけど、自分にはちょっとピンとこない。自分が書きたいものを書ければそれでいいし、それで面白いと思ってもらえたらすごく嬉しい。でも、それ以上に社会を動かしたいとか、注目されたいという気持ちはほとんどない。


村上春樹さんの文章論なんかを読んでいると、「物語には社会的価値が必要だ」とか、「書くことは社会への責任である」とか、そういう哲学が垣間見えることもある。だけど僕は、自分が書きたい物語を書いて、それが自分にとって面白ければそれで満足、というタイプだ。


それって内向的すぎるんじゃないかとか、閉じすぎなんじゃないかとか思うこともある。でも、そんなやつが1人ぐらいいてもいいんじゃないか。そう思ってる。誰かにやり方を否定されたこともないし、そういうことをしてくる人に対しては「恥知らず」と思ってしまう。


自分の生き方はずっとこんな感じだし、たぶんこれからも変わらない。プログラマーとして仕事もしてるし、生活に困ってるわけでもない。だからこそ、趣味で創作をして、たまに文学賞に出してみて、もし面白い展開になったらラッキー、くらいの気持ちでいる。


もちろん、本気でプロを目指してる人から見たら、僕のスタンスは「なめてる」と思われるかもしれない。でも、他人の創作をバカにすることはないし、自分の創作にも口を挟まれたくない。そういう距離感がちょうどいいんだと思う。


結論としては、「自分がやりたいことをやって、自分なりに満足できればそれでいい」。人生に何かを残す必要があるのかとか、そんな冷めたことも考えてしまうけど、まあそれも含めて僕なんだと思う。意味とか、価値とか、そういうものを問い直すことが、結局は自分にとっての「創作」なのかもしれない。

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