超メモ帳(Web式)@復活

小説書いたり、絵を描いたり、プログラムやったりするブログ。統失プログラマ。


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血肉となる知識を身につけるには「遅読」が必要であろう。

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血肉となる知識を身につけるには「遅読」が必要であろう。


今、朝晩の通勤中に本を読んでいて「遅いインターネット」(宇野常寛著)を読了したんだけど、その感想を今日のブログで書くべきかどうか悩んでたんですよ。


この、「遅いインターネット」は丁度、僕が考えている現代のソーシャルメディアとの付き合い方みたいな事をドンピシャで纏めてある書籍なんだけど、現代思想を扱ってる本なので複雑なんです。一応、読んだ感想文をまとめる程度のエントリーなら書けるけど、もう一度メモを取りながら再読したり関連しそうな書籍を読み返してみたりして、内容に関して深い理解をした上でエントリーを書いたほうが良いんじゃないか?って悩んでしまった。


こういうの考えるのは本しゃぶりさんがこういう風なエントリーを書いてたりしてブログを書くための読書というのはどういう物なのか?といろいろと思考の網目に引っかかってたのだ。


honeshabri.hatenablog.com


本しゃぶりさんは本当にひとつのエントリーに大量の書籍からの情報をぶち込んであり、まさに「知識でぶん殴るスタイル」とでも言うべきブログのスタイルだろう。ここで紹介されていた「イシューからはじめよ」は興味深そうな本なので早速kindleで購入しておいた。こちらも読了したらブログにまとめよう。


まぁ、そもそもの知識量が違いすぎるので本しゃぶりさんの真似はできないのだけど、自分も本を読んだりネットから情報を集めながら、ブログにアウトプットするスタイルで書いているし、何かしらの書籍からのインプットのスタイルを考える事が必要なのではないか?と考えた。実際に自分がこれから本を読んだりして情報をエントリーに纏めたりしていくにしても、もっと深い内容のエントリーを書けるような方法論は整理しておく必要があるだろう。


僕はこういう知的生産系の事にとても興味があるので、今までも類似の事を考えてエントリーを書いていたりする。


www.ituki-yu2.net


このエントリーはスゴ本さんの次のエントリーに触発されて書いている内容だ。


dain.cocolog-nifty.com


内容を要約すると以下である。

読書は他人にものを考えてもらった結果をなぞるだけだから、自分のアタマでものを考えなくなる。そうした受動的な読書を打ち破るために、オキテを作って実践している。 オキテ1:読むだけの読書にしない、オキテ2:読んだら表現する、オキテ3:読んだらフィードバックする、の3つ。その結果、読書の対象に広がりと奥行きと深みが増した。特にオキテ2を強力にオススメする。


スゴ本さんはショーペンハウエルの「読書について」から引用して考え始めるのだけど、単に受動的な読書を続けていると知的退廃に至ってしまうのだ。これはtwitterなどにいる意識高い系辺りを観測していたら分かるんだけど、ビジネス書とか自己啓発本とかを一日に1冊とか読み漁っているけど単に消費するだけのための読書であり、そのハウトゥーや知識などを全く身に付けてないのである。


そもそも本屋で平積みされているようなビジネス書とかは、大して内容も深くなく考えずに数時間で読み飛ばせるようなペラッペラの本とかも多く、何百冊と読んだ所で全く成長には結びつかないような本も量産されている。



自己啓発本100冊を読んでそのエッセンスで生活すると成功するか?と実践しているライターの記事もあった。


found-er.com


ぶっちゃけ、粗製乱造の自己啓発本など何百冊読もうが成功には結びつかないのである。自己啓発本に限らずその他の本であっても、読書のための読書である限りはなんの血肉にもならない。単なる暇つぶし以上の何事でもない。


なので、読んだ文章を血肉にするための「遅読」の重要性というのがこの記事で纏められていた。


togetter.com


僕なりの考え方をまとめさせてもらうと、まずは深く鋭く読み込む本を選ぶ必要があるだろう。これはいろんなジャンルの本を浅く乱読して、これを身に付けたいと思う本を見つける。そういう本に出会ったらノートに纏めながら何度も繰り返し読む。また、知識はローカルに溜め込むだけではなくブログなどで発表するのもいいだろう。知識は誰か他人に教えようとすることで噛み砕かないといけなくなり、結果的に自分の理解も深まる。


本当に知識を血肉にするための読書をするのであれば、どうでもいい本を乱読するよりは、これぞという本を深く何度も読み返した方がいい。読書だけに関わらず、twitterなどで大量の情報にひっきりなしに頭を使わず晒されているのも知的退廃を招く行為だと思うんだ。今回読んだ「遅いインターネット」はそれ系の話だから今日はこんな事を考えていた。

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